「労働することが国民の義務」であるというのは、明らかに間違っていると言わざるを得ない。
「それぞれの都合によって、働きたければ働きたけば良い」のです。
そもそも「労働」とは付加価値を生む為の「手段」であり、その目的を遂行するプロセスで仕方なく発生する「作業」でしかない。
例えば事業の主体であるオーナーなり会社にとって、「労務費」とは「経費」であり、損益計算書ではマイナスでしかない。
しかし、このひとつ上のオーナーのフレーム(視点)を獲得して初めて「事業主にとって都合の良い、より安くより働く作業員」から、「高額賃金を支払う等優遇すべき存在」へと変わることが可能となる。
(こうなると大抵は独立可能なのですが、、、)
まずは頭の中の情報空間で今まで閉じ込められていた系から飛び出した視点を獲得する事である。
(「資本主義」や「貨幣経済」という大きなフレームまで持つことが出来れば、その上から一気に俯瞰することが可能なのでシステムに自在に介入することもできるのでより良いです。)
その写像として、我々が言う慣れ親しんだ「物理的現実世界」である日常の風景が一変します。