本当にそう思う人が「正常」だと思います。
(「正常」とはいささか言い過ぎであり、嘘でしかないですが「多数派」と言い換えます。)
それに21世紀の現時点ではね、という但し書きも必要です。
まあ、気功の定義も本当は必要でしょう。
まさワークスの気功という言葉自体が、「スピリチュアルな伝統的気功」からのスピンオフであり、借り物です。
そのもっとも簡潔かつ平易な定義としては「情報が物理を書き換える」という表現でであり、「情報場におけるホメオスタシスフィードバックによる内部表現書き換えです。」
しかしあまり馴染みのない人に対してこのブログの記事の随所で、「僕」という1人称の表現を使って、待機説法の手法でわかりやすく読みながら、抽象度をあげていけるように、それなりに工夫をしながら伝えています。
ですから、時に何かのシナリオでも読んでいると思って読み進めてもらえるとよいかと思います。
遠隔ヒーリングについては、僕もいまでも、不思議な現象だなって思います。
何で、地球とか磁石にものや金属がくっつくのかも不思議です。
ただし、「(この時代の多くの人の)直感では」です。
私たちの直感は、往々にして従来の古い方のパラダイムをサポートします。夕刻に太陽が沈んでいるかのように見えてしまうようにです。
あなたが地動説をサポートするなら、太陽は沈んでいるのではなく、地球が自転しているように感じられるべきです。
(すっかりパラダイム転換したら、近い将来の人類は、「日没」を正面からみて、宇宙空間にぽっかり浮いた地球が後ろの方向にスピンしているという感覚を直感で感じるのだと思います。
そのときに「日没」「サンセット」という言葉は違う言葉に置き換えられているのだと思います。
思い付きませんが「地球の自転で太陽が視界から消えようとしている」という意味の3-4文字の熟語でも当てられるかもしれませんね。
(それでもまさか、目が回ったり、時速1,700kmものスピード感を感じることにはならないと思いますが、、、これは、冗談です。)
どうして?って人は理由が欲しくなりますよね。
知的好奇心がわいてきたら、一気にあたらしい知識とパラダイムを獲得するチャンスです。
目の前には、今のパラダイムで見えている現象や(見かけの)世界がまずあって、それに対応した知識やパラダイムの階層があるので、さらに抽象度の高い知識を獲得しながら、自分がしたいゴールにそれを利用して行く。
そのときに、ゴール設定と更新、そして知識の獲得こそが、我々のゴールへの到達可能性を高めてくれるものと思います、
人類の叡知の結晶である科学を学び、論理のはしごを繋げていくことは、価値あることだと思います。
それが、科学の少なくとも側にたつ者としての姿勢だと思います。
しかし、往々にして我々は科学を中途半端に学び、単なる受験や学校の成績に必要な暗記だけをして、卒業後は恥ずかしいほど勉強をしなくなります。(僕だけかもしれませんので、僕はと急いで言い換えますが)
普通の人生を望み、普通の日常生活を送るだけならば(普通ってなんですかという議論はさておきです。)、それで良いかな。とも思います。シャンプーや石鹸で身体を洗っていない理由は、皮膚常在菌が免疫の役割を担っていてね、、、などといおうものなら、なぜか毛嫌いされるのがおちです。
その意味では、せいぜい「あまり人に迷惑をかけないようにというよりも、ある程度の迷惑や影響はお互いさまと、あまり神経質にならずに楽しく生きています。」と、日々で会う人に対しては、まあ「日和見主義」というか、都度、当たり障りなく隠れて生きていたらよいと思います。
さて、
フィードバックで出てくるエフィカシーとは「自分の能力に対する自己評価です。」過去や現在地は関係ありません。プライドとは違うものです。
理想の未来の自分だけが、自分の評価をすればよいのです。他のあらゆる評価は聞き流せば良いことです。
理由などありません、言ってみれば方便です。
理想の自分は、現在の自分を常にマックスで高評価します。まあ、いつかは理想の自分になる人だからですね。
ここは大切です。エフィカシーはあげたり下げたりすることもなく、常にマックス。終わりです。あとは、忘れて構いません。
モチベーションと同じです。モチベーションとかエフィカシーって何ですか? でいいのです。
自分でスコトーマ(盲点)に入れてしまいましょう。
理想の可能世界に生きるということです。

(引用開始)
まささま
●●です。
ミスキャロラインライトギアライブ、ありがとうございました。


もうここ最近は、ライブ後まともにどばっと好転反応が出て、いろいろと巻き込みつつ変化していく感じです。
ミスキャロライン、特に感じたのはエフィカシーの高さと「楽しい、どんどん行く」感覚です。
エフィカシーは上げて上げておくのが得策だなとあらためて思いました。
無駄な動きがなくなるので。
人の仕事、と遠慮していたところがあったんですが、声をかけてみて、押してみてよかったこと。
チーム全体が良い雰囲気になっていきそうな気配(トラブルのおかげでもある)。
特に親や子、周囲の人に対する接し方が器用になった気がするのは、相手を尊重してぷつぷつ切って見ることが出来るようになったのだと思います。
絵、音楽、文章にばしばし心打たれるのは、抽象度の高い空間に反応することができるようになったということかもしれません。
自分自身、静かに燃えているようです。
起きた瞬間の歩き方や体のラインというのがすごくきれいで、体の内部を凝視している感覚があります。
この状態を一日過ごすことによって揺らぐたびに上げていけると、良いのかな、それにはやはりIQ、エフィカシーはとても重要。
「死にたい」人は常にまわりにいるなあ、と思います。
自分がそういう感覚にどこか惹かれるからなのでしょうが。
「何かしてあげたい」が先に立ってしまう自分を感じていたのですがこの感覚も少しずつ変化しています。
(引用終了)
まわりの人は、したいようにしているのでさせておきましょう。
あなたの特別な煩悩があれば、別です。自己責任で。おせっかいであることが分かっていてもやりたければ、好きに焼けばいいかと、、、。
かまってちゃん達に、かまっている暇はなく、かまって欲しくない人たちに、かまうのは時間のムダという意味です。
それよりも、僕たちには時間が限られているのです。
自分のゴールを観て、自分の役割と機能に徹しましょう。
ゴールとは、自分のこころから行きたい場所です。まあ自分にとってのニルバーナとでもいいましょうか。想像もできないほど遥か遠いという意味だけで、ニルバーナと言っていますが。
あの博士のように深い意味はありませんし、僕はニルバーナ体験も(たまに聞かれるので、、、)特別な悟り体験もありません。(笑)

そのために自分が、自分で役割、機能を決めるのです。
それをすることが、人生です。というか、そうあるべきだと思うという意味です。

人生を遊びという名前のついたフォルダーにいれるとは、こういう意味です。
他者から観て(本当は社会から観て)価値あるかどうかなどは、僕は二の次だと思っています。

ジョブスのことはよく書きますが、正直、携帯電話が出来たから人類が進んだなんて僕は思っていません。(いや、大きく進んだんですが)
iPodが人類に平和をもたらしたかなんてそんなことはありません。
楽しくなったとは思いますし、間接的にそうなのか?という気持ちはありますが、僕はジョブスは人生楽しんだなって思います。

影響力の大きい小さいを結果的に比較しても意味はないと思います。
生きてるからいろいろできるので、良い事もちょっとくらい悪い事も、人に言えない事もたくさんすればよいと思います。
折角生きているのですから。いいと思います。

だから、あまり周りを意識しなくてもいいんだと思います。

まさ^^/