こんにちは。Masaです。
今までの映画作品では母親としてのみさえが描かれてきた訳ですが、この『逆襲のロボとーちゃん』では一貫して妻としての野原みさえが描かれているのが分かると思います。それ故に、しんのすけと対照的に描かれているシーンも少なくなく、感情移入し辛い部分もありますが、非常にリアルでみさえというキャラに新たな一面を見る事ができました。そしてこのリアルさが腕相撲での声援に効いてきていると感じます。
今回は私の大好きな作品である『クレヨンしんちゃん』の映画作品を。その魅力を余す事なく伝えるべく、記事にいたしました。
4月に公開を控える新作映画『襲来‼︎宇宙人シリリ』、予告編が少し前に公開となりましたが、個人的にはしんちゃん映画で『ET』の様な作品が観れるのではないかと今から期待値MAXであります。それを記念致しまして、しんちゃん映画の魅力に迫り、より多くの方に良さを知ってもらいたいと思っております。
本来なら全作品を1から語って行きたいところなのですが、「多くの人に観てもらいたい。」「鑑賞済みの方にもこの辺に注目してもう一度観てもらいたい。」という思いの強い1作品に絞らせていただきました。
さてどの作品についてかと言いますと……
シリーズ第22作目『映画 クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』です!
「ロボ、でも父ちゃん。」のキャッチコピーに思わず涙。ポスターデザインが素晴らしいですよね。そして、このポスターが公開された際に既に自分の中では傑作である事が確約されていた訳ですが(笑)、実際に本編を観た時の衝撃たるやすさまじいものでした。
まず、この作品の素晴らしさを体験していただきたく、未見の方の為にネタバレなしで見所を羅列したいと思います。1つでも気になる点がありましたら鑑賞を強くオススメします。
○脚本は中島かずきさん
○野原ひろしという父親・夫
○白熱⁈のロボットバトル
○偽物と本物
○母ではなく妻としてのみさえ
○前を向き続ける事が出来るしんのすけ
○ギャグセンスの良さ
○武井咲さん
○コロッケ
○ピーマン
○キン肉マン
などなど。
未見の方は鑑賞後、このブログ記事に戻って来て下さり、感想を共有出来ると私としてもとても嬉しいです。
〜ここからはネタバレを含みますので閲覧にはご注意下さい〜
それでは、この作品のテーマでもある父親という部分に沿ってなるべくまとめていこうと思います。
まず、映画のタイトルロールまでの流れが完璧で最高でした。カンタムロボのジョン少年が青年に、そしてこの作品が家族・父親を題材にしてること、『クレヨンしんちゃん』という作品も認知され20年を超えてきて、熱狂したであろう当時の子供たちも家族を持つ年齢になってきている事など、様々な要素があってこそこの作品が今公開される意味、素晴らしさを実感しました。
カンタムロボ大集合はさながら前年公開された『アイアンマン3』のホーム・パーティ・プロトコルで、こういうオマージュもしんちゃん映画の魅力だなぁと再確認しました。そしてカンタムロボの映画が終わり合体を真似るしんのすけとひろし、コレが原因で腰を痛めて物語が始まっていくというスムーズな流れがこれまた大好きです。
ブログのタイトルにもしましたが今作は'父親の死'を『オトナ帝国の逆襲』の回想を筆頭に理想の父親の代名詞的な存在となった野原ひろしの死を描いている非常に挑戦的な作品であるのです。
ギックリ腰になった事から家にいても役に立たないと指摘されたひろしは病院に向かうも休日で休み、そんな帰り道に綺麗なお姉さんに導かれエステを受けることになったひろし。そこでなんとロボットに改造されてしまう訳です。勿論、物語中盤にロボひろしが記憶をコピーした所謂クローンに近い存在であるという真実が明かされる訳ですが、オリジナルひろしとロボひろしの両者の存在や違いの表現が見事でしたね。また、真実が提示されるまでは巧みにミスリードをさせる作りになっておりその点でも見事です。
ロボひろしが前述した様に野原ひろしの記憶をコピーしたクローンであるという観点から更に掘り下げると、身体は機械であるもののロボひろしは精神面や思考・記憶的には間違いなく野原ひろしであり、知っての通りラストには活動を停止してしまうのですから、野原ひろしが死んでしまったと解釈する事ができ、この作品が父親の死を描いていると判断できます。この悲しい事実にも関わらず、作品には陰惨な雰囲気はそこまで感じられず、寧ろ明るく、尚、前を向いている印象を受けます。ここがこの作品の最も素晴らしい点かと思います。笑いと感動、そして辛さなどの配分が非常に絶妙で、ギリギリのバランスで成り立っているのではないかとも感じますし、この題材でこのストーリーをやり切った製作陣には頭が上がらないです。バランスに関しては、笑いのセンスが近年の作品の中でもトップクラスである事も大きく影響しているのではないかと思います。
ここで、前を向いているという印象を特に大きくしているのが、最後のロボひろしとしんのすけのやり取りだと私は思っているので2人のやり取りを終盤の流れとともにまとめて行きたいと思います。
事実が判明し2人になった野原ひろし。真相が判明した時のロボひろしの表情が忘れられないですね。しかし、しんのすけの対応が軽く、どっちが本物か聞かれた際にロボひろしを選ぶなど笑えるシーンを挟みつつ、それでいてその純粋さが重要でもあるという作品全体のバランスを上手くとった演出があり、辛さが後を引かないのも良いです。また、鉄拳寺との白熱のロボバトルの後、オリジナルひろしの元にみさえが駆けて行き、雨の中1人残ったロボひろしに声をかけるしんのすけがカッコ良すぎて泣けました。ピーマンのくだりも最高で「終わりか?ロボ父ちゃん、ごちそうさま‼︎」からのひろしの「お前の叫び、集積回路の奥の奥まで響いたよ。」はとてもアツい。まさかピーマンでここまで盛り上がるとは思いもしませんでしたね。(このシーンでまさかのキン肉マン⁈と思った人は自分以外にもいるはず 笑)
そしてラストの巨大ロボバトル。このシーンで1番好きなのはやはり「こんな時、しんのすけなら⁈」「いつもの!」のやり取り。ロボひろしとしんのすけ、2人の間だけに共通認識が生まれているのが本当に良かったですし、ここで涙腺崩壊しましたね。演出としてこれまたずるいのが腕相撲後にロボひろし視点になるシーンです。そこで、しんのすけに「自分は本物のとーちゃんじゃなかったみたいだ」と伝えるも、即座に「ロボとーちゃんもとーちゃんだ」と返してくれるしんのすけがまた。
そして、肝心の最後のやり取りのシーンです。しんのすけはロボひろしの「デッカくなれよ。」という言葉に対して
「オラ、デッカくなる。さっきの巨大ロボットよりももっと、もーっとデッカくなるぞ!」
と全力で答えるんですよね。いつも通りのしんのすけ。明るく前を向き続けることが出来るしんのすけ。そんな彼の口から出た彼らしい一言。息子の成長を見れない事がどんなに悔しく、どんなに悲しい事であるか。そして私達観客にも計り知れない感情が伝わってくる。それにも関わらずしんのすけの姿を見て最期は笑顔で去っていく。そう、父親としての、人間としての野原ひろしの強さがあってこそなのだけれども、しんのすけの前を向く姿勢、しんのすけの強さ・ブレない芯があってのあの安堵の笑顔なのだと思うのです。このやり取りがあるのとないのではだいぶ印象が違ってくると思いますし、これによって作品の帰着点が完全に定まっているとも感じるのです。
故にこの作品は、今までのキャラクターの積み重ねやイメージを最大限に活かし、父親とは?命とは?更にはクローン問題等々、様々なメッセージも含みつつ、娯楽作品として子供も大人も楽しめる作品であると断言しても良いとも思います。本当にアッパレです。
そして、もう1つ語っておかねばならないのがこの作品でのみさえの立ち位置、腕相撲での声援と2人のひろしの反応についてです。
今までの映画作品では母親としてのみさえが描かれてきた訳ですが、この『逆襲のロボとーちゃん』では一貫して妻としての野原みさえが描かれているのが分かると思います。それ故に、しんのすけと対照的に描かれているシーンも少なくなく、感情移入し辛い部分もありますが、非常にリアルでみさえというキャラに新たな一面を見る事ができました。そしてこのリアルさが腕相撲での声援に効いてきていると感じます。
「あなた、勝って!」
この台詞に何を感じるか。オリジナルひろしに対する声援なのか、はたまた両者に向けたものなのか?この声援を受けた両者の反応からオリジナルのひろしに向けたものだとする解釈も頷けますが、私は両者に向けたものだと解釈しています。それを裏付けるのは、みさえの描写であり、リアルさだと思います。ロボひろしを最初は受け入れられないが次第に心を許し普通に接する事が出来るようになる。そんな時に元のひろしも現れて、確かにみさえからしたら'本物'な見た目のひろしが生きていてくれた事が嬉しく、屋上でのシーンはそれが顕著に現れたロボひろしにとっては残酷なシーンとなっています。しかし、みさえはその後の家族会議なども含めて正直何が正解なのか分からずにいるという印象であり、何度も言うようにリアルな客観視された行動が描写されているが故にみさえの心情が状況が悪化するにつれて痛いようにこちらに伝わってくる作りとなっているように思います。
そこでセリフに関して考えてみると自分の力ではどうする事もできないみさえが、2人のひろしをただただ見守ることしか出来ないという構造が見えてくると思います。一緒に過ごして実情も知った結果、みさえの中でもロボひろし=野原ひろし=大切な夫という認識になった事は明らかであるので、このセリフにはみさえのやるせない気持ち、でもしっかりとどちらのひろしも夫であり、2人の子供の父親であるという考えの意思表示を含んだ精一杯の言葉だったのではないかと考える事が出来ます。その言葉を受けたひろし、片方は何かを悟ったように挙動を止め、もう片方はその言葉に奮起し力を込めた。そして腕相撲はオリジナルひろしが勝利を収める。それではロボひろしは何を思い、ハッとなったのか。勿論、自分の置かれた状況を改めて理解した事も要因の1つではあると思いますが、個人的な見解としては走馬灯に近い現象が起きたのではないかと思うのです。自分も野原ひろしなんだ、野原みさえの夫で家庭があり父親で……考えれば考えるほど辛い。このブログを書いている最中、何度も涙してしまった私ですが、ロボひろしの挙動の停止は諦めなどではないと思うのです。そもそもロボひろしが腕相撲をしようと思ったのも自分の身体がもうあまり長くない事を予期した上でのオリジナルひろしに全身全霊をかけて勝負して超えて行ってもらう為であると思う訳です。この事から力を抜くなんてひろしらしくないですし、劇中でもしんのすけとの腕相撲で「男の勝負は正々堂々と」という言葉を貰っていますし、あの瞬間の2人のひろしの差は置かれた状況により偶発的に生じた差なのではないかと考えられます。家族の事を思った際に頭を過ぎった感情が違っただけであり、つまりみさえの精一杯の言葉は2人の心にしっかりと届き、心を大きく動かしたのだと思うのです。
みさえのこの言葉があったからこそ家族の事を思い返し、思い出を振り返り、本物が登場してから自分は記憶だけの偽物であると悩まされる中で自分も野原ひろしなんだと思う事が出来る瞬間が与えられたと考える事も出来、ひろしにとってのみさえという存在の大きさも伺えるのではないかと思います。
野原ひろしという男の器の広さ、野原家という素晴らしい家庭、この作品を通して他のしんちゃん映画にもより深みが出た様な気がする私です。
最後に、段々原のラストの台詞が個人的に大好きなのでこれについても少しだけ語らせてください。
「あなたの1番の罪は人の心をおもちゃのように弄んだ事です。」
という深くて重い一言。
どこか抜けたところがある段々原にこの台詞を言わせる事でより鋭さが増している様に感じました。この台詞を受けて初めて自分の犯した大罪に気づいた様子の黒岩の描写も良かったです。ここでは黒岩が家庭が冷え切っていたとは言え家庭を持ち父親であるという設定も活きてくる見事な演出だったと思います。
補足としてですが、映画版と漫画版では日常に戻った際のラストカットが違っていて、個人的には漫画版が好きです。気になる方は漫画版も是非チェックしてみて下さい。
ここまで長々と『逆襲のロボとーちゃん』のすごさについて精一杯まとめたつもりですが、いかがだったでしょうか?再びこの作品を手に取るきっかけに、クレヨンしんちゃんという作品を観るきっかけになれば良いのですが。
始終、個人的な見解と感想ですが少しでも参考にしてもらえると嬉しいです。
それではまたの機会に。




