アーベル | しろグ

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26歳の若さにして結核(及び併発した肝機能障害)で亡くなったノルウェーの数学者。
1817年に数学教師ホルンボエに出会ってから、数学に興味を抱くようになった。友人達とヨーロッパ中を巡って長く遊学し、クレレと知遇を得て彼の雑誌に多数の研究論文を掲載した。このクレレという人物、ベルリンの建築技師で、数学に大変な情熱を持っており、今なお名高い数学雑誌《クレレ》(正式名称は『純粋・応用数学雑誌』)を発刊した。

Landscape and portrait ver. 2
 ※ニールス・ヘンリック・アーベル
彼が、当時世界最高レベルといわれた数学の総本山パリ科学アカデミーへ提出した論文が『超越関数の中の非常に拡張されたものの一般的な性質に関する論文』。これは後に"青銅よりも永続する記念碑"と謳われ、後代の数学者に500年分の仕事を残してくれたとまで言われた不滅の大論文として知られ、こちらも数学の白亜の殿堂を担うカール・グスタフ・ヤコブ・ヤコービは、彼の論文を見て「私には批評もできない大論文」と最大限の賛辞を贈ったといわれる。

この論文は「5次以上の代数方程式には、べき根 n√ と四則演算だけで書けるような解の公式が(一般的には)存在しないこと」を証明した。1次方程式、2次方程式の解の公式は中学校で習うし、3次方程式のものも高校で習った、、、ような気がする。4次方程式の解の公式も存在する(らしい)。だが、5次以上の方程式の解の公式があるのかないのか、ということは彼が見出すまでは誰にも分からず、証明も反証もなかった。アーベルの証明を何かの本で読んでみたが、言うまでもなく、何が何やらさっぱり分からない。隣の銀河系の言葉で書かれているようなもので、意味の一つかみさえ欲するのさえ酔狂である。

ところで、この若き数学者は、もう一人のフランスの数学者とともに《非業の死を遂げた夭折の天才》として歴史に名を刻んでいる。アーベルは困窮にさいなまれ、数々の論文がなかなか認められず、長い間、正当な評価が与えられなかった。ヨーロッパを遍歴して帰国後、結核と合併症を患い死去。26歳だった。

これだけの若さで亡くなったにも関わらず、可換な群を指す「アーベル群」など数学用語にも名を残している。無限級数の収束に関するアーベルの定理や、無限級数の一様収束を初めて注意したことで知られる。その他にも、アーベル方程式、アーベル積分、アーベル関数、アーベル多様体、遠アーベル幾何学などアーベルの名を冠している数学用語は多い(もちろん私には理解どころか想像さえ出来ない……)。また、彼の名前を顕彰して2001年にアーベル賞が創設され、毎年優秀な数学者に賞を授与している(日本人の受賞者はまだいない)。

彼の肖像画は、長い間ノルウェーの500クローネ紙幣に描かれていた。