ガロア | しろグ

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フランスの数学者で、先ほどのアーベルより更に若い21歳で亡くなった、もう一人の若き悲劇の数学者。

彼の死因は女性を巡るトラブルでの決闘で、ピストルの弾が脇腹に当たり、それが元の腹膜炎とされている。ただ、いろいろと不審な点や未解明のことが多く、ジャコバンだったこともあり、陰謀説などが出ていて、未だに論争がやまない。臨終の床で弟に「泣かないでくれ。二十歳で死ぬのには、相当の勇気が要るのだから」と言ったとされる。しかしながら、彼の名前が知られているのはそんな死に方だけではない。

Landscape and portrait ver. 2
 ※エヴァリスト・ガロア

彼の数学の業績は、一時代を画す……という言い方さえ陳腐に聴こえるほどのもので、彼が創造した「群論」という分野によって、アインシュタインの相対性理論、ハイゼンベルクらの量子力学、距離空間、リーマンのリーマン幾何学などが初めて可能になったとされる。ガロアは自分の理論を使って、アーベルによる「五次以上の方程式には一般的な代数的解の公式がない」という定理の証明を大幅に簡略化した。また、より一般にどんな場合に与えられた方程式が代数的な解の表示を持つかについての特徴付けを与えた。

ガロア理論に端を発する考え方は現在では抽象代数学、疑似乱数列、誤り訂正コーディングなど、数学、物理学、コンピュータなどのあらゆる分野にあらわれており、彼の理論は現代数学の扉を開くとともに、20世紀科学のあらゆる分野に絶大な影響を与えている。

それなのに、というか、だからというか、ガロアの業績の真実と重要性、先見性は数学の殿堂と言われたパリ科学アカデミーや数学王と呼ばれたカール・フリードリヒ・ガウスにさえ理解されず、生前に評価されることはなかった。論文を何度もなくされてしまったり、泣く子も黙るパリの理工科学校(エコール・ポリテクニーク)の口頭試問では無能な試験官に黒板消しを投げつけて不合格となったりしている。この時の入学試験は“ガリレオの宗教裁判での尋問と並び称される汚名”を数学史に残した。この時の2人の数学者は「歴史上最高の天才数学者に数えられる人物を不合格にしたこと」によってのみ記憶されている。

彼はその後、パリ高等師範学校(エコール・ド・ノルマル)に入学を果たすが、彼は数学の才能と同じくらい、過激な共和主義者としても知られていた。何度も投獄されたり檄文を書いたりして、当局を刺激している。数学者とともに、革命家としても知られていたのである。

遺書には後の数学者達にとって永年の研究対象となる理論に対する着想が「僕にはもう時間が無い」という言葉と共に書き綴られている。 例えば代数的には解けない五次以上の方程式の解を与える楕円モジュラー関数による超越的解の公式の存在を予言し、そのアイデアを記している。 なお、この手法は彼の死後50年の時を経てシャルル・エルミートによって確立された。

時代に冠絶した天才数学者が亡くなったのは21歳。
若すぎる、というだけでも“悲劇”だが、生きていても死に際までも悲劇だった。