グレゴリー・ペレルマン | しろグ

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自分の原稿を書く際に参考にしようと本を開いたら、この人が出てきた。

2003年に100年来の難問だった『ポアンカレ予想』を証明したとされ、一躍世界に知られるようになったロシアの数学者。世界的な研究所であるモスクワのステクロフ数学研究所を辞し、現在は母親の年金で暮らしているらしい。学生時代に当時の最年少記録である16歳で国際数学オリンピックの出場権を獲得し、全問満点の金メダルを授与された。この時、物理学にも興味を持っており、その才能は、友人が言うには「もし国際物理オリンピックに出場していればそちらでも満点(金メダル)を取っていたに違いありません」というほどのものだったようである。

Landscape and portrait ver. 2

数学界のノーベル賞と言われるフィールズ賞を辞退する。国際数学連盟の会長に説得されるも辞退を告げた。この賞の辞退は彼が初めてで、その前にもヨーロッパ数学会賞などの賞を辞退したり数々の昇進を断ったりしている。彼曰く「有名になると何も言えなくなってしまう」とのことだ。

彼は散歩しながら語るのが好きなようで、この説得と証明に関する議論は、2日間・合計10時間のウォーキング・ツアーの際にされたという。サンクト・ペテルブルグを散歩しながらの議論だったようである。オペラ好きで、よくマリインスキー劇場の安い席で観ているらしい。舞台はよく見えないが、音響は最高とのことで、彼は好んでその席で観るという。

フィールズ賞については

「私はまったく興味がありません。証明が正しければそれで充分であり、表彰など不必要なことは、誰にも分かっていることです」

と語っている。証明発表後、故国に戻ろうとしたペレルマンにスタンフォード大学招聘の声がかかったらしく、選考委員会は形式通りに履歴書と数学者の推薦状を求めたらしいが、彼は

「彼らがわたしの仕事を知っていればわたしの履歴書は必要ない。もし履歴書を必要とするならば、彼らはわたしの仕事を知っていないことになる」

と思って戸惑ったとのこと。

彼は科学以外のことに関わりたくなかったようである。教授になれば研究室に引っ込んでばかりいられないし、フィールズ賞をとればノーベル賞ほどでないにせよ、人前に出て行く機会は格段に増えるだろう。昇進して職責が増えれば、「数学以外は知ったことではない」と言っていられなくなる。

彼の同僚数学者ゴロモフ氏は「偉大な業績を成し遂げるには純粋な心が必要です。科学以外のことに関わらないのは、科学者の一つの理想像ですね。ペレルマンがその理想通りに生きることが出来るかどうかは分かりませんが、彼はその理想に沿って生きたいと思っているのです」と語っている。

人付き合いを嫌い、ほとんど人前に姿を見せないなど変わった人物であるが、学生時代までは笑顔の絶えなかった少年として周囲から記憶されているようである。趣味はキノコ狩りらしい。