谷山・志村予想 | しろグ

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数学の世界で、日本人の名前がついた数少ない“予想”だが、今は証明されて『谷山・志村定理』と呼ばれている「~予想」としたほうが神秘的な気がして、タイトルはこのようにした。

この定理は「すべての楕円曲線はモジュラーである」ことを言う。言い換えれば「ある楕円方程式のE系列は、どれかの保型形式のM系列である」ということだ(もちろん受け売りである……)。この問題が提出された時点では、未証明の予想にすぎなかったので「谷山・志村予想」と呼ばれた。数学界の難物中の難物と言われ、400年間、誰も証明出来なかったフェルマー予想(フェルマーの最終定理)の証明とも密接に関連している。

当然のことながら、E系列だの保型形式だの、そんなものは土星語みたいなもので理解不能だが、数学者谷山豊氏によって提出されたいくつかの問題に端を発している予想で、この予想の意味は、「楕円曲線論」と「保型形式論」という異なる二つの分野で用いられる特殊な概念が同種のものである、ということである。この二つの分野のそれぞれの概念はまったく別のものだと思われていたため、予想が提出された当時では、これはとても衝撃的なことだった。谷山豊氏は若くして自殺してしまうので、盟友であった志村五郎氏によって定式化され「谷山・志村予想」と呼ばれることとなった。

この予想の最大の魅力は、二つの分野の別の概念が同種のものだとすれば、そこには何らかの深遠な真実がひそんでいることになる、ということである。それゆえ、この予想は、通常の定理のように一つの分野だけの問題ではなく、数学における広範な真実を告げる重大な問題だと理解された。これは内容的に「ゼータの統一」というテーマを扱う豪快な予想であり、数論の中心に位置するものの一つと目されるまでにいたったが、攻略自体は絶望視されていた。

1984年秋、この予想からフェルマーの最終定理が出るというアイディアが数学者フライにより提示され、セールによる定式化を経て(フライ・セールのイプシロン予想)、1986年夏にケン・リベットによって証明されたことにより一気に注目を集めたが、アンドリュー・ワイルズを除いては、まともに挑もうとする数学者は依然として現れなかった。ワイルズはこの予想を証明しようと挑み、1度は致命的なギャップに苦しんだが、結局証明を完了し、この予想の系であるフェルマー予想も証明してしまった。フェルマー予想が「フェルマーの大定理(最終定理)」となる過程を描いたドキュメントはサイモン・シンを始めとした作家が活写しているすぐれた本が幾冊も出ている。

などとくだくだと書いたが、日本にも極めてすぐれた数学者が多い、ということである。数学のノーベル賞と呼ばれるフィールズ賞を受賞した日本人数学者も3人ほどいる。その時に授与されるフィールズ・メダルにはアルキメデスの横顔が彫ってある。アルキメデスと言えば、シチリアに攻めてきた泣く子も黙るローマ軍をいろいろな道具で迎撃し、さんざん悩ませた御仁である。

こういう話を聞くと、数学が2,000年以上になんなんとする長い歴史を持っていることが実感出来、なかなかいい気持ちになる……