私は3つ目の劇団に入った。
もちろん、ここでも芸名を改めた。
「聖城 遥」
私はハルくんと呼ばれた。
劇団員は立ち上げたばかりということもあり、代表と娘役のKちゃんの2人だった。
初めてのお稽古の日。
4月の公演が終わってからストレッチさえもやっていなかった。
そのせいか、その日のお稽古だけで翌日は筋肉痛に…


しかし、久々のストレッチやダンスに汗を流し、とても気持ちが良かった。
また男役が出来ることに、ただただ喜びを感じながら毎週末のお稽古を重ねた。後のことも考えずに…
そんな時、お芝居の脚本を手掛けて下さるというT氏に初対面した。
その時は、確か…劇中に入れる歌を決める為に団員の歌声を聞かせて欲しいということだった。
それから、T氏とは数回会ったが、色々なことを教わった。声の出し方や舞台に対する姿勢など…
また、芝居のお稽古の時…娘役のKちゃんに
「ハルくんの演技って瀬奈さんに似てる~!!瀬奈さんならこういう風に言うよね~(笑)」
大好きな瀬奈じゅんさん(〃∇〃)
はい、確かに瀬奈さんなら演技中にこんな風に動いたり、台詞もこんな感じに言うだろうな~と思いながらやってました(笑)

前にも書いたが、私は男役の研究は誰にも負けないくらい努力したつもりだ。特に男役でも大ファンだった轟悠さんや瀬奈じゅんさんはダンスも演技も何度も何度もビデオを見て研究した。
宝塚ファンの中には、轟さんはダンスじゃなくて、あれはロボット運動だと言う人もいた。しかし、轟さんの男役はトップオブトップ!!確かに、轟さんはバレエのしなやかな動きは苦手そうだが、キレのある男らしい動きに私は魅力を感じていた。魅せ方はピカイチだと私は思う。
瀬奈さんは、バレエを幼少からやっていたこともあり、名ダンサー
また、手足が長く、ダイナミックなダンスに私は惚れたのだった。また、瀬奈さんも魅せ方はヤバイくらいに決まっていた。2人の躍り方はもちろん、指の動かし方や表情の作り方、声の出し方…など。
一番最初の舞台は自分が轟さんや瀬奈さんだと思い込みながらやったものだ(笑)

だから、自分の癖の1つとも言える。
さて、
公演の日にちは決まらないでいたが、お稽古は毎週欠かさずあった。
あっという間に、冬となり学校も冬休み。
年末年始、私は実家で過ごしていた。
潮時だった。
現実を自分自身に突き付けられたのだ。
その時は地元に戻るまで1ヶ月だった。車の免許を取得するために冬休み(2月)に入ってすぐに東京を去らなければならなかった。
わかっていたはずなのに、もう舞台業は出来ないとわかっていたはずなのに、3ヶ月前に安易に入団してしまった自分に腹が立った。皆に迷惑をかけてしまうと思うといたたまれなかった。しかし、タイミング的にもう今、辞めるしかない。でも、代表に何て話したら…
実家のリビングで震えながら頭を抱えていた。
2007年の年が明けてすぐ…
私は携帯電話を手にした。
無論、まだ代表に話す勇気はなく、気づいたら音さんに電話をしていた。
音さんに全て話した。
すると…
「そうだと思ったよ。大丈夫なのかな~って。相談がそろそろ来るってわかってた」
音さんは冷静に話を聞いてくれた。
そして、1月の初めてのお稽古の日。
代表に退団の意表をした。
1月末。最後のお稽古。
代表から団員に話してもらった。
娘役のKちゃんは涙を浮かばせて驚いていた。「どうして?もうハルくんとお稽古できないの?イヤだよ。」
…未だに覚えている、Kちゃんの言葉。
その姿に私はさらに罪悪感を感じずにはいられなかった。
「ごめんね。公演、必ず見に行くから」としか言えなかった。
そして、私は複雑な心境の中、退団した。
2007年4月。
私は地元の中学校の常勤講師として社会人の第一歩を踏み出した。
舞台への未練など考える余裕など全くなかったくらいに多忙だった。
Android携帯からの投稿