福知山 銀拾五匁

 

形態 : 角形札銭 

分類 : 地方銭/試鋳銭 

サイズ : 縦 22mm、横 15mm、厚さ 1.8mm 

量目 : 3.8g 

材質 :銀色金属 

お宝度:◎◎◎◎◎

作銭度:上 

 

 

 

 

福知山 銀三拾匁

 

形態 : 角形札銭 

分類 : 地方銭/試鋳銭 

サイズ : 縦 26mm、横 19mm、厚さ 1.8mm 

量目 : 5.5g 

材質 :銀色金属 

お宝度:◎◎◎◎◎

作銭度:上 

 

 

 

 

福知山(ふくちやま)は、京都府の北部に位置する

丹波国と丹後国にまたがる中丹地方に含まれ、
かつては特産品の藍染などのさまざまな農産品を生産し、

それらを扱う商業都市として栄えてきました。

福知山という地名は、明智光秀が丹波平定後、

この地に城と城下町を開いた際に命名したものと考えられ、

資料上で確認できる最も古いものは

津田宗及「宗及茶湯日記」の天正9年4月の記事です。

 

その名の由来については、いくつかの考察があり、

和泉式部の歌「丹波なる 吹風(ふくち)の山のもみじ葉は 

散らぬ先より 散るかとぞおもう」から取ったとの説や

富士山由来の名(別名)によるとの説も存在しますが、

いずれも根拠のないものです。

 

福知山は、さまざまな出土品から、

少なくとも縄文時代の初め頃から

人が住んでいたと考えられており、

古くから交通の要衝として栄えた場所でもあります。
 

16世紀には、織田信長の家臣である明智光秀が

この地方の有力豪族の塩見(横山)信房を倒し、

その居城を修復し福知山城を完成させたことで

城下町として栄えました。

 

現在でも「鋳物師町」「呉服町」など地名に

その名残を残しています。

 

近世になると、関ヶ原の戦いの論功行賞により

有馬豊氏が八万石の禄高で福知山城に入城し

福知山藩を開き、その藩祖となりました。

 

その後の藩主は徳川家譜代の大名が転変するものの、

朽木氏が藩主となって定着し明治維新を迎えました。


 1937年(昭和12年)には京都市と伏見市に続いて、

京都府で3番目に市制を施行しました。

 

今回紹介する福知山銀2様は

試作創作の別はともかく、

そんな福知山の地方限定銭と判断され、

拾五匁と三拾匁が存在します。

 

銭銘の上に刻印された紋様は

明智家の家紋:桔梗(ききょう)

の様にも見えますが、花弁が1枚足らず4枚であり

朽木家の家紋:隅立て四つ目結(すみたてよつめゆい)

とも判断されます。

 

もしかすると、双方をイメージできるように

デザインされたものかもしれません。