足尾銅山 百文通用 

 

形態 : 楕円形穴あき銭

分類 : 御当地銭/創作銭

サイズ : 縦 50mm、横 34mm、厚さ 2.6mm 

量目 : 18.7g 

材質 :銅

お宝度:◎◎◎◎◎

作銭度:下 

 

 

 

 

足尾銅山は、16世紀後半には、現在の栃木県南西部、

佐野市域を拠点とする佐野氏により

採掘されていたと伝わるもので、

 

1610年(慶長15)以降徳川幕府直轄支配となり、

銅山奉行の代官所が設置され開発が進められました。


江戸時代における足尾銅山の最盛期は17世紀中頃で、

年間1,300t以上の生産量を維持し、

1684年(貞享元)の生産量は1,500tに達しました。

足尾銅山で生産された精銅は、

江戸城、日光山、上野の寛永寺、芝の増上寺

などの銅瓦に使用され、

さらには長崎からオランダなどへも輸出されました。

1741~1748年(寛保~延享期)に至り

やがて、産銅量が減少したことで、

足尾銅山の山師救済を目的とした鋳銭座が設けられ、

「寛永通宝」一文銭の裏面に「足」の字が印された

通貨が鋳造されました。

 

その後も産銅量は減少の一途を辿り、

幕末から明治時代初期にかけては、ほぼ閉山状態でしたが

民間払下げで経営を引継いだ古河市兵衛氏による

坑道の新規開発と近代化で、再び最盛期を迎えるのです。

 

今回紹介の、楕円形穴あき銭「足尾銅山」は

当時賑わいを見せた鉱山町内通用の

地域限定銭として試作されたと想定の銭貨です。

 

銭様は、高額面の百文銭ということで

天保銭形の楕円形を採用するとともに

裏面は「盛岡銅山」と同様の「百文通用」という

額面表示になっています。