太平元寳 換銅拾枚

形態 : 楕円形穴あき銭 
分類 : 皇朝銭/創作銭 
サイズ : 縦 50mm、横 34mm、厚さ 2.8mm 
量目 : 20.8g 
材質 :銀色金属 
お宝度:◎◎◎◎◎ 
作銭度:下 
 


 

ここに登場いたしましたる

楕円形穴あき銭「太平元寳」!

はてさて、どういった銭貨でしょうか?

 

銭銘により調査したところ

皇朝銭の銭籍にその名を認めることができました

本来の太平元寳は、奈良時代に日本で発行されたといわれる

銀製の丸形穴あき銭で

当時を記した正史「続日本紀」

淳仁天皇治世下の天平宝字4年(760)3月16日の条に

私鋳銭が多いため

萬年通寳(銅銭)/太平元寳(銀銭)/開基勝寳(金銭)

を新たに鋳造したことが記されています。

 

これらの貨幣の発行は、前年に太政大臣に任ぜられた

藤原仲麻呂(恵美押勝)が関わったとされていて

奈良時代に発行された銀銭としては、

和銅元年(708)に発行された「和同開珎」に次いで2度目で、

以降、皇朝銭としての銀銭発行は、確認されていません。

 

このとき出された詔には、

同時に発行された貨幣との交換比率が示され、
大平元寳10枚で開基勝寳(金銭)1枚分、
また大平元寳1枚は萬年通寳(銅貨)10枚分

に当てると定められました。

 

大平元寳が発掘調査で見つかった事例は報告されておらず

過去における存在に関する情報としては

唐招提寺/明治新撰譜/大坂の表具師

の3例ほど伝承されていますが、

拓本や写真?が伝わる程度で、現物の確認が出来ないため

「幻の銀銭」と言われています

 

最も、具体性がある伝承は、摂州大阪在住の表具師

大友長門政峯にまつわるもので

享保20年、近衛信尹公子孫家より預かった

大型の仏画掛軸を修理した際、下軸の中から2枚発見され

正直に申し出たことにより発見者(大友)に

その内の1枚が下賜されたということですが

後に訳あって人手に渡り、転々としているようです


太平元寳が幻の銭貨といわれる理由としては

新銅銭の価値感覚を高めるための見せ金的に用いられたことと

新旧銭貨の交換比率に起因して

更なる贋金出現を誘発することが予想されたため

通用銭として流通させなかったと言われています

 

一説には、後の孝謙上皇が

淳仁天皇と藤原仲麻呂の事績を打ち消そうとして

一度鋳造された太平元寳を鋳つぶし、

2口の巨大な銀の壺(銀150kg)として正倉院に奉納したため

それに漏れた物以外は、現存していないとする説もあります

(奈良国立博物館 吉澤悟 提唱の新説)

 

また、大平元寳については、遼(契丹)の古銭にも

同じ銭銘の物があり、前記の拓本と酷似していることから、

伝承の中には、遼銭と混同の可能性も考えられます

 

そんな稀代稀な太平元寳ですが

楕円銭として目にすることができるのも

このジャンルの味わい深いところw

 

試作/創作の別は、さて置き

時代考証的に

楕円銭が当時存在していたとは思えませんが・・・

 

奈良時代のオリジナル同様

以前紹介した、楕円形穴あき銭 開基勝寳 金銭 

https://ameblo.jp/masatoman1980/entry-12727981718.html

と金/銀、一対の銭貨で

 

こちらも裏面には、交換比率を表す

換銅拾枚の文字が鋳込まれています。