今回は昨日の続きとなります。良かったらチェックしてみて下さい。

https://ameblo.jp/masatolevel3/entry-12845968045.html

 

アジア通貨危機からの成長 その後起きたのが97年のアジア通過危機。中国は資本規制のおかげで国内の影響は少なかった。しかし、周辺の景気が悪化したので輸出が伸びず経済成長が失速した。ここで中国は高速道路などのインフラ整備を行うプロジェクトを立ち上げて、景気を刺激した。

 

 2001年にWTOに加盟して元安もあって輸出に有利になり貿易が拡大した。世界の工場と言われ、さらに勢いを増した中国だったが、2008年に世界金融危機が訪れた。しかし、中国は金融がそこまで世界とリンクしてなく影響は軽微だったが、他の国の景気が悪化したので輸出が減少した。

 

 中国の企業は2009年2月の春節休暇前、従業員に、

 

「君たち首だからそのままずっと休暇で戻ってこなくていいよ」

 

政府はインフラ開発を中心とした経済刺激策として約4兆元(約60兆円)を拠出。さらに政府はこう考えた。

 

「中国の輸出黒字の大きさが弱点にもなる、国内内需を活性化しないと」

 

金融危機以前から中国政府の産業戦略は変わっていて、外国で生産された高付加価値部品の最終組立という立場から脱却すること、技術面でトップに立とうという戦略だった。台湾の電子機器の組立工場が中国に移転して、技術が入ってきてコンピューターや携帯電話の需要の恩恵を受けた。優先度の高いハイテク産業には研究開発のための補助金、特許申請や技術標準の制定に報償を与えて、国内企業や政府に中国製を買うように奨励した。

 

 さらに企業に中国への投資を認める見返りに重要な技術を中国企業に移転することを強く求めた。これらの戦略で2010年にはGDPで日本を追い抜いて世界二位となり、一時期アメリカを抜く見方もあった。

 

 

成長した要因 中国がここまで成長できた要因の1つが独特の政治機構にある。強力な権限を持っているのもあるが、特徴的なのは中央と地方。公式には中央集権だが、北京の中央政府があり、各地方に省・地・区・県・郷という組織があり、省の官僚がかなりの裁量を持っている。ただし、その地方の幹部には共産党員が派遣されてコントロールされる形となる。

 

 各地域ノルマがあり、競争がある、これが開発競争を促している。なので各自治体でいろんなアイデアを試せるというのが特徴だ。自分の所属しているところのトップがポンコツだったら最悪で、さらに簡単には引っ越しすることもできない。そんな中国でなぜここまで成長できたかというと、要因の1つが豊富な労働力。

 

 80年ぐらいには人口は10億人弱だったが、その多くは農村部だった。昔は食料と雇用の確保というのが重要だった、なので政府は農用の大規模化や機械化に反対だった。結果、57年から20年経過しても生産量はほとんど変わらなかった。それで、78年からある省で生産責任性という一定量の生産を請け負って、それ以上に収穫できた農産物は自由に販売できることにした。

 

 沢山作れば得をするので、生産量が上がり農民は貯蓄や投資を行い技術が向上、そこからさらに産業が生まれた。そこで農村地域で集団でお金を出す郷鎮企業という小さな企業が生まれた。こうやってだんだんと需要が高まるが、技術がない問題があった。それで積極的に技術を輸入するため、外国からの直接投資を受け入れた。

 

 都市部で工業化が進んだ、賃金は当然工場の方が高い、それで農民が参加するようになった。出稼ぎ労働者だが、政府は賃金労働のため労働者を都市部に移住しやすくした。ただし、家族の移住は禁止された。中国はこれらのモデルとなる国があり、それが日本などの東アジアの国。他には香港という入口となる貿易港が存在していた。

 

 さらに、ここで輸送技術の発展と製造プロセスを分けることができるようになり、国際化が用意にできるようになった。ここに80年代に台湾で電子工業が確立され、90年代に中国に入り、爆発的な需要とリンクした。これらが世界の工場と呼ばれるようになった要因。

 

人口ボーナス 改革解放で閉じていた市場を開いて一気に爆発した、これは人口ボーナスの要素も大きい。人口ボーナスは人口の多さではなく、生産年齢人口15~65歳未満の割合が上昇して人口に対して労働力が豊富な場合のこと。つまり働いている人の割合が多く、養う人が少ないとも言える。

 

 ここで中国の2000年の人工ピラミッを見ると、30歳くらいが多く、逆に40歳より上が急激に少ない。これは大躍進政策やその他の政治的な混乱によるもの。その反動だったり、政府が大家族を奨励したり、衛生状況や医療の向上で乳幼児や子供、妊婦の死亡率が激減した。これが当時の30歳ぐらい。しかし、政府は73年に出産感覚を開けることを奨励して、子供の数を都市部では2人、農村部で3人にするように促した。それでだんだんと下がったところで1979年、政府はさらに一人っ子政策を開始、それで子供の数が激減。これらによって2000年ぐらいだと働き盛りの労働人口が豊富で高齢者や子供がいない。これらが投資と消費を加速させた要因になった。

 

 

 

 そしてもう1つ、中国経済が伸びた理由が住宅。80年以降、住宅私有化が始まり98年は大都市での低家賃の公有住宅の払い下げが完了してほぼ私有住宅となった。実は大きな意味があり、市場価値より安い価値で居住者に売却された、実質的に富の移転となった。

 

 元々不動産市場というのがなく、初期はものすごく価値が低かった。そこから都市化でどんどんと人が流入していき供給不足状態。ここから住宅市場が急激に伸びることになり、住宅ブーム・建設ブームが誕生した。鉄鉱やセメント、ガラスなどの資材もそうだが、道路・電気・ガス・通信など色々と増えた。中国の鉄鋼生産量は2000年から14年で7倍に増えた。これらで2000年代には家具・インテリア・電気製品の需要が増えて、さらに所得が増え、自動車の需要も増えた。自動車に関して言えば現在世界一の販売台数を誇る。これが中国の経済の歴史だ。

 

最後に 中国の経済視点での歴史を軽くまとめた。他にも金融などいろんな要素があったが、まとめるの難しすぎて諦めた。最近は中国経済が先行不透明というニュースをよく聞くので、それを理解するためにも今までの歴史の振り返りをするのも大切です。

 

 

 

 

 

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