リクルートの復習 今回紹介するのが「リクルート事件」です。リクルートの復習ですが、クルートは1960年に江副浩正が大学新聞広告社として設立。1962年に大学の求人情報だけを集めた就職情報誌「企業への招待」を創刊。このモデルを軸に住宅情報、カーセンサー、とらばーゆなど様々な媒体を展開しました。その他に鹿児島県の志布志で農業を始めたり、安比高原でリゾート開発も行いました。1974年に住宅の需要が高まるとみて、環境開発という会社を立ち上げ、マンションディベロッパーを始めます。さらに、情報通信産業にも進出、始めたのがNTTの回線のリセール事業。他にもスーパーコンピューターを購入し、今でいうクラウドコンピューターを始めようとしました。元々、理系の人々を集めようとしてスパコンを購入しました。

 

 創業から30年近く経った1988年、グループ売上1兆円、経常利益1000億円が目前となりました。そんな帝国を築いた江副は社長を退き、会長に就任しました。ここでリクルート事件が起きました。

 

↓リクルートの創業者|江副浩正

https://ameblo.jp/masatolevel3/entry-12837993193.html

 

事件の発端 始まりは1988年6月18日、朝日新聞が、川崎市の助役に「リクルートコスモス」の未公開株3千株が譲渡さ、1.2億円の利益を得ていたと報道されました。助役とは、自治体における首長の補佐役。リクルートは川崎駅前のとある地区でビルを建てようとしましたが、容積率が300%で採算が悪く高いビルが建てられない問題がありました。ですが、川崎市が特定街区にして容積率が700%に上昇しました。

 

 それで、1984年12月にリクルートグループの環境開発からリクルートコスモスに変更した不動産会社の株式、3千株譲渡されました。譲渡といっても実際は購入する権利という感じですが、コスモスは86年10月に店頭公開をしており、1200円で購入した株は売却した時5000円以上でした。それで1.2億円の利益を得ました。これに加え、リクルート系列の金融会社であるファーストファイナンスが購入資金を融資するという形で、何も負担なしで儲けが出ました。しかも、当時株は上昇基調であり、有名企業の株式だったらほぼ間違いなく上がる。これを朝日新聞が報道しました。

 

 ただ、これは当時神奈川県警が捜査してましたが断念した案件です。贈賄側の事項である3年を超えていて、かつ完全に賄賂だと立証が困難だった様です。他のメディアが諦めるなか、朝日新聞は県警からも圧力がありつつ取材を続行したようです。新進気鋭の起業が斬新な手口で癒着をするという構図、朝日新聞なら続けそうな事件。6月14日この件を追っていた朝日新聞横浜支局に電話がかかってきました。

 

「川崎市の助役の鍵を取材しているのか?見せたいものがある」

 

と呼び寄せられ、コスモス株が譲渡された76人のリストを渡され、そこには大物政治家なども記されてました。出処がわかりませんが、似たような譲渡リストが共産党や社会党にも渡っていたようです。

 

 それ以降、のち総理大臣となる森喜朗などの大物政治家、そのほか安倍晋太郎幹事長、宮澤副総理、竹下首相、中曽根元首相など名前も上がりました。彼らは秘書や家族名義でコスモス株を取得、公開翌日に一斉売却、数千万円の利益を得たようです。

 

 7月6日に朝日新聞が、中曽根・安倍・宮沢の名前を挙げた日に江副氏はリクルート会長を辞任しました。譲渡したのは政界以外にもいて、官僚やNTT、その他一般企業にも譲渡されました。当時、江副が親しかった日本経済新聞社社長にも譲渡して、この問題が江副の辞任理由だったそうです。

 

 当時は消費税導入の審議が行われている最中で、国民は政治に不満を持っていました。それで、リクルート事件でお金を稼いでいたと報道され、世間からも注目を浴びマスコミの報道も過熱します。特に朝日新聞の取材熱がすごく、リクルートに取材申し込みをして最初は断られても引かずに、30分の約束が結局2時間取材をされたようです。

 

 大きな海難事故が起きても朝日新聞はリクルートをトップ扱いにして、国会ではリクルートの件で野党に追及されるという状態に。そんなこんなで江副は精神的に不安定となり、入院しました。その入院中の最中に江副の自宅に銃弾が撃ち込まれました。通信社に来た声明文で

 

「リクルートコスモスは反日朝日に金を出して反日活動をした、赤報隊一同」

 

リクルートはちょっとしたことでも話題になり、新聞社やテレビ局からの情報誌の広告掲載を辞退するよう要請されました。特に表に出ていない江副の奥さんについても週刊誌が報道し始めました。ベランダで洗濯物を干している写真を撮られたことも。その他にもリクルート疑惑の陰で泣いた女達とか、リクルート女帝になれるかな、というタイトルで書かれていたようです。後日、奥さんが名誉毀損で訴えて勝訴したみたいですが。

 

 野党からの質問を受けたりして色々とありましたが、段々と報道も小さくなり病院前のカメラマンもいなくなりました。それで江副は海外に旅でも出ようと、旅行のガイドブックを読みながらプランを考えてました。しかし、ある事件をきっかけに事件は最悪の方向へ向かいました。

 

また明日も紹介しますので、良かったらチェックしてみて下さい。

 

 

 

 

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