旧小坂鉄道の廃線跡巡りですが、これにて3回目となります。

本当は、もっとあっさりと書きたかったのですが、いろいろな珍しい鉄道遺産がたくさんあって、ついついいろいろと書きたくなります。

 

今回は、旧小坂鉄道の『橋梁跡』と、『第一種手動踏切跡』をメインに書いていこうと思います。

 

 

第4号橋梁(大川目橋梁 ~茂内駅~)

第4号橋梁は、茂内駅から小坂駅方面へと向かった場所にあります。観光当時は、橋梁の立ち入りは禁止されていましたので、ドローンにて撮影を行いました。

橋梁は2径間のプレートガーダー橋になります。橋台及び橋脚はコンクリート造りの様です。

 

 

前回、茂内駅の信号機作動用ワイヤーの件を書きましたが、この鉄橋にも添荷されていました。現地の説明板によると、鉄橋に設置されているのは、日本にココだけだそうです。

そうなると、とても貴重な鉄道遺産といえそうです。

 

 

ですが、何故日本にここだけなのでしょうか。何故、全国的に設置されなかったのでしょうか。その理由は、雪の重みと関係あると思いました。

 

 

雪国では、やはり雪害の影響が大きいのでしょう。ワイヤーをささえる鉄製のステーが見事に折れ曲がっていました。

 

 

ドローンで橋梁をよく見ていたら、上流側に多くの樹木が引っかかっている事に気が付きます。

おそらく洪水時に多量の樹木が流されてきて、この橋脚にあたってから引っかかったのでしょう。

この樹木ですが、とても怖い存在です。樹木全体に水圧がかかると、それがすべて橋脚へと力がかかります。

 

 

大水害で橋梁が流出し、橋脚が薙ぎ倒された例もあります。自然の力を感じてしまいます。

 

 

新沢駅はブロック積でできた簡易な駅舎が残されていました。一時期は、地域の防災倉庫として、第二の人生を過ごしていたのかもしれません。

 

 

しかし、現状は厳しかったようです。おそらく、積雪の影響でしょう。トタン屋根が大きく破損していました。この雪害に対する感覚ですが、温暖な地方からの旅行者は、とても疎いものがあります。実際に自分の目で見ると、雪国での除雪の必要性をとても感じました。

 

 

GW明けくらいなら、積雪で雑草が踏みつぶされていますので、なんとか線路跡を見ることができます。ただし、梅雨明け以降は草木の浸食が激しくて、たぶん線路は隠れてしまうのかもしれません。木々もまだ細いですが、あと10年も経つと完全に自然に還るのでは感じました。

 

 

第九号橋梁(小雪沢橋)は3径間のプレートガーダー橋です。ここは、水色の塗装がされていました。他の場所は錆止めの朱色になります。通常、塗装色は統一するものでしょうが、色が異なるのが不思議です。もしかしたら、他の鉄道の中古品を再利用したのかもしれません。

 

 

小雪沢駅はホームが残されていました。ホームの高さがとても低いのが特徴的です。おそらく、これは狭軌時代(ナローゲージ)に使われていたホームかもしれません。となると、改軌してからは使われていなかったのかもしれません。

 

 

第十号橋梁(二の渡橋)は、長木川を渡る2径間のプレートガーダー橋です。

 

 

東岱野駅ですが、昭和45年に開業した、比較的新しい追加された駅の様です。周辺を見ると、大舘製作所の工場があります。そちらでは鉄道関連機器なども製作されているので、もしかしたら従業員の通勤用かもしれません。

 

 

第十四号橋梁(大茂内川橋梁)も3径間のプレートガーダー橋です。どうも、この路線は、朱色と水色の塗装が交互でされているようです。とても不思議です。

 

 

岱野駅はホームと駅舎が残されていました。この横には、ニプロハチ公ドーム(大館樹海ドーム) があります。

 

 

ニプロハチ公ドームですが、木造ドームでは世界最大級だそうです。

 (長径178mで、木造としては世界最長のスパン)

最大の特徴は、樹齢60年生以上の地元産秋田杉を約25,000本使用しているとの事です。

 

あまりにも巨大な木造ドームでしたので、近くから撮影しても、何がなんだかわかりません。よって、あえて遠方から撮影してみました。

 

 

さて、旧小坂鉄道の大物遺構だといえるのが、御成町踏切と呼ばれる場所です。

ここの特徴ですが、全ての列車の通過に対して、踏切保安係が手動操作で昇降式遮断機を上げ下ろしてしていたそうです。

この踏切ですが、正式名称は『第一種手動踏切』と呼ばれるものです。私が調べた結果ですが、全国の第一種踏切が30,539箇所あり、そのうち手動踏切道は59箇所しか存在しない、とてもレアな存在でした。

この手動踏切が昭和の初期とかではなくて、平成21年の廃線まで使われていたということろが驚きです。

 

 

こちらの建物は、踏切の保安係が常駐していた、保安小屋になります。

 

 

第一種手動踏切ですが、現役で使われている場所として片上鉄道があります。もっとも、現役と言っても廃線跡の利用による鉄道運行になりますが。

ちなみに片上鉄道と小坂鉄道の両方ともが、同和鉱業(現・DOWAホールディングス)がオーナー企業だったのが印象的です。

 

 

踏切の保安係が常駐していた、保安小屋が現役な場所をどこか見たことないかを考えてみました。そういえば、台湾で見たことを思い出しました。

 

【阿里山森林鉄道にて】

 

実際に踏切保安員さんが待機している姿も撮影させてもらっています。

 

【虎尾糖廠 シュガートレインの撮影において】

 

手動操作で昇降式遮断機を使用しているころとは、日本国内では思い出せません。

これまた、台湾旅行写真を探していると、見つけ出しました。

今回はあくまでも小坂鉄道廃線跡旅行記なのですが、台湾への超マニアック旅行記も兼ねてしまったようです(笑)

 

嘉義市 北門駅にて】

 

 

第一種手動踏切ですが、現役で使われている場所の動画を見つけました。台湾の阿里山森林鉄道になります。手振れが激しい動画ですが、御勘弁下さいませ。

 

 

 

小坂鉄道廃線跡巡りですが、いよいよ最終地点の大舘駅へとやってきました。

(鉄道としては、大舘駅が起点)

こちらは、現役のJR大舘駅へと接続していますので、もちろん場内は立ち入り禁止です。

最後の踏切から、なんとか全景を撮影します。

 

 

大舘駅の遺構を広角で撮影したくて、いろいろな場所を探していたのですが、いい場所がありません。当然現役の鉄道上空はドローンの飛行許可は下りません。

やむおえないので諦めて、JRの鉄道でも見てみようと跨線橋を渡ると、そこから小坂鉄道の遺構が全部見えました。あんなにウロウロしなくてよかったなあ(笑)

 

 

小坂鉄道の転車台跡も跨線橋の上からなら、じっくりと観察できました。

 

 

旧小坂鉄道(小坂精練鉄道小坂線)の廃線跡巡りを、延べ2日間の時間を費やして観光してきました。私事で申し訳ありませんが、あまり長期の休みが無く、遠方からの秋田旅行でした。それなら、いろいろな観光地を巡るのがベストなのでしょうが、あえてマイナーとも言える路線の廃線跡巡りをしてきました。

何が面白いのか説明が難しいのですが、遺構を発見した時の喜びは何ともいえないものがあります。

また、廃線跡巡りは、基本的に地図帳やガイドブックなどが整備されているわけではありませんので、どうしても地域の方への聞き込みも重要になってきます。

そこで出会った方達はみなさんはとても親切で、そういった触れ合いが楽しいともいえます。

今回も2人の方と、親しくお話をさせていただきました。

廃線跡巡りの一番の楽しみは、地域の方との触れ合いにもあるのかもしれません。