旧小坂鉄道は秋田県の北東部に位置する小坂町から、JR奥羽線の大舘の間を結ぶ、延長22.3kmの単線路線でした。

明治41年に貨物輸送がスタートし、翌年の明治42年には旅客輸送も始めています。その後、貨物輸送がドル箱となった全盛期があったようですが、鉱山業界の衰退とともに貨物輸送や旅客輸送が減少していきました。

平成6年には旅客営業が終わり、いよいよ平成21年には残された貨物輸送も需要が無くなり、廃線となっています。

 

今回は、その旧小坂鉄道の廃線跡を巡る旅をしてみたいと思います。

 

スタート地点は、小坂駅舎が残されている小坂鉄道レールパークですが、前回のブログで書きました。今回は、その続きとなります。

 

旧小坂駅から歩くと、明治100年通りと名付けられたお洒落な煉瓦で囲まれた遊歩道に辿り着きます。このあたりには、小坂鉱山事務所跡なども残されており、本当に明治の息吹を感じることができます。

ここには、明治30年からあった、街路灯が残されていたはずなのですが、うっかりと見落としてしましいました。遺構巡りファンとしては、今回の旅でもっとも後悔した中の一つです。

ちなみに、この明治100年道路ですが、旧小坂鉄道の廃線跡利用の一環になっています。こういった廃線跡の活用も素晴らしいですね。

(修正:この明治100年通りですが、実は廃線跡の横に沿ってあるようです。)

 


 

今回の旅は、ちょうど5月の中旬くらいでした。まだ桜が残っていたのには驚きました。

天気が良ければ、素晴らしい写真が撮れそうなのですが、残念です。

廃線跡をバックに桜のトンネルが撮影できる場所は、全国的に見ても少ないと思います。

次回は桜が満開で、天気がいい日に旅したいと思いました。

 

 

廃線跡には、永楽町駅が現役さながらに残されていました。ただ、昔の路線図を眺めていると、この駅はどこにもみあたりません。

後で聞いたころ、小坂鉄道レールパーク建設時に、トロッコを運行させるために廃線後に新築したようです。現在は、使われていないようですが、是非トロッコの運行をしていただきたいです。

 

 

小坂の市街地を抜けると大カーブがあり、山岳の風景へと変わっていきます。すこしずつ、標高を稼いでいる状況がよくわかります。

 

 

しばらく曲線を描きながら登攀していくと、1号トンネルに辿り着きました。トンネルの坑口には、スノーシェードが取り付けられたいました。残念ながら、これから先は立ち入り禁止でした。

 

 

この1号トンネルの反対側は見学が可能とのことなので、せっかくなので迂回して見に行ってみることにしました。トンネル延長ですが、わずか182.88mですので、ほんの先でしょうし。

 

直接行く道がないので、いったん戻って歩き回って探してみました。

トンネルを抜けると、歩いてもわずか5分ほどの距離なのですが、結局3時間もかかりました。途中で、道案内をしてくれた御主人と知り合ったのですが、昔の写真を見せてくれることになりましたので、ご自宅にお邪魔させていただいたりしていました。

この後の予定がすべて狂ってしまいましたが、こういった出会いも、旅の一つの楽しみなんですよね。

 

 

1号トンネルですが、左側の法面が崩壊したようです。工事看板によると、法枠工と呼ばれる山留工事だそうです。

 

 

旧小坂鉄道の1号トンネルを出た瞬間の写真がありました。写真は、明治41年に撮影されたもので、ボードウイン社製2号機関車と呼ばれていたとの事です。

ちょうど、この古写真と現在の写真を比べると、法面の崩壊した場所がよくわかります。たしかに、いかにも崩れそうな地形に見えますね。

崩れる前と、対策を行った場所の比較ができる写真と言うのも、意外と少ないものです。とても貴重な写真というか歴史の証人かもしれません。

 

 

トンネルの内部は、全面煉瓦で覆工されていました。鮮やかな赤色レンガの色が素晴らしいです。天井部が黒くなっているのは、蒸気機関車が運行されていた証人といえるのでしょう。

(内部は立ち入り禁止なので、トンネル坑口から内部を撮影)

 

 

1号トンネルから先は、かなりの勢いで自然化が進んでいます。あと数年で、線路まで樹木で覆いつくされるかもしれません。なんとか、廃線跡ハイキングができるようになれば、観光化にも一役買うと思うのですが、いかがなものでしょう。

 

 

提案1

 

廃線跡ウオーキングを観光地のアトラクションの1つとした場合で検討。

廃線跡ウオークングですが、以下の楽しみがあると思います。

 

 1.線路がある場所はとても歩きにくいけど、非日常体験が可能

   線路を歩くといえば、映画スタンドバイミーなどが有名です

 

 2.町中から徐々に高度を上げて、自然の風景を感じることができる

 

 3.非日常体験の最たるものとして、廃トンネルを歩くことができる

   もちろん、ライトアップ等の設備が必要

 

 4.2km程度歩いた場所を折り返し点とする。

   そうすると往復で4kmとなるので、速足なら1時間、ゆっくりでも2時間

   くらいでしょうか

 

 5.廃線跡ウオーキングは、なんといっても歩きですので時間がかかります

   小坂町内での宿泊や飲食がカギとなるでしょう

 

廃線跡の整備を2kmとして、整備費用と観光収入を考えてみました。

 

これなら、なんとか若干ながら利益が生み出せるのではと思いました。

あくまでも、利益と言っても、地元へ観光客が落とすお金が前提ですが。

 

 

さて、再び廃線跡巡りに戻ります。

見えている踏切ですが、現在は廃線の為に使われていません。それゆえ、踏切での一時停止は不要になっているようです。こういった看板も、普通は見ることができないので、貴重ですね。

 

 

2号トンネルですが、手前の線路が完全に自然に還っており、歩くことができませんでした。そこで、ドローンで探索をすること1時間で、ようやく坑口を探し出しました。

この写真だけ見ると、ドローン探索は楽でいいなあと思われるでしょうが、実はかなりのテクニックが必要となります。理由は、周辺に見えている樹木の枝です。これらにプロペラが少しでも引っかかると墜落してしまいます。よって、枝葉を避けて、ゆっくりと降下する必要があります。

まさに、トライアンドエラーで降下地点を探すといった感じでしょうか。

 

 

2号トンネルは、全長628.62mと看板に記載がありました。意外に長大トンネルだったことに驚きます。

 

 

トンネルを抜けると、道路に近接して線路が敷設されていました。

 

 

小坂鉄道も、中間駅となる『茂内駅』が見えてきました。

 

後編に続く

 

・・・ここまで書いたのですが、緊急割込み!

 

小坂鉄道を造った旧藤田組(藤田財閥)の社章ですが、ようやく見つけることができました。

ネット上では発見できなくて、図書館で古い社史を探し出しました。

今風の、とてもカッコイイ社章です。

 

ここで、小坂町内で見つけた煉瓦の遺構とようやく結びつきました。

 

 

煉瓦遺構ですが、明治42年に建てられた、『旧電練場』と呼ばれる壁の遺構です。ここの説明文には、<藤田組の社章が表示されました>とありました。

この煉瓦壁のどこに社章があるのか?・・・いくら調べてもわからなかったので、ブログ化はあきらめていました。

 

藤田組といえば、後に藤田財閥と呼ばれた巨大企業です。その社章を探す事ぐらいは、簡単にグーグル検索できると思うのがネット社会の常識ではないでしょうか。

それがネット上では見つけられませんでした・・・いやはや不思議なものです。

ですが、ようやく謎が解けて、ほっとしました。