石垣島には津波石と呼ばれる、過去の津波で運ばれてきたとされる大石が、いくつか点在しています。

その情報を知ったのはテレビのドキュメンタリー番組でした。

ですが、巨大な石の塊が、津波の力で本当に動いたりするものだろうか?・・・とても気になっていたので、実物を見に行きたいなあと思っていました。

そして、八重山諸島巡りの旅を計画した時には、もちろん津波石も見に行こうと決めていました。

いよいよ石垣空港へ着陸する直前に、窓からなんとなくカメラを向けていたら、湾内に津波石らしきものを発見しました。

 

 

あわてて撮影したので、ズームが間に合いませんでしたが、拡大してトリミングしたら、ぼやけてはいるものの、遠浅の湾内に不自然な岩塊を見つけることができました。

おそらくこれが津波石のようです。

(本来ならドローンを使えば海岸から見えそうなのですが、空港周辺及び飛行ルート上でのドローン使用は飛行禁止区域となり法律違反となります。)

 

 

津波石と呼ばれるものですが、「石垣島東海岸の津波石群」として、国指定文化財として史跡名勝天然記念物に指定されています。

その津波石ですが、指定されているのは4か所であり、その中の2か所については観光客でも容易に見に行くことができました。今回は、その2か所を見に行った感想をまとめてみます。

 

1.津波大石(つなみうふいし) 石垣の中心街から近い大浜崎原公園にありました。初めて見た印象ですが、とても巨大であり、本当にこれが流されてきたんだろうか?としか思えませんでした。

 

しかし、少し離れた場所から見てみると、その周辺はとてもフラットな地形であり、たしかにこの津波大石だけがポツンと残っており、とてもその存在に違和感がある事は確かでした。

 

 

近くで観察すると、特有の凸凹感から石灰岩だということがわかります。また、よく観察すると、サンゴの化石も見て取れます。

 

 

せかっく見に来たからは、寸法を測ってみたいものです。もちろん津波大石には凸凹があって正確な体積は測れませんので、あくまでも楕円体として考えます。

そして、寸法は歩測で求めて、高さは写真からの比率で求めました。

楕円体の体積は4 × π × 半軸1× 半軸2 × 半軸3 ÷ 3 =4π a b c /3で求めることができます。そこで計算した体積は、V=4×π×6m×5m×3m÷3=377㎥となります。

そこで、琉球石灰岩の比重2.3をかけると、重量W=377×2.3=870tと求められました。

実際は楕円体よりもは直方体に近いかもしれません。そうなると、1000t程度はあるのかもしれません。

これだけの重量の物が遠い場所から運ばれたパワーには驚愕しかありませんでした。石垣市の資料を見ていると、この津波石ですが、実際に流されてきたのは、1771年の明和大地震ではなく、約2000年前の先島津波だと書かれていました。

この津波石が、本当に”津波”によって運ばれてきた証明はどうやって行ったのでしょうか。石垣市立八重山博物館に立ち寄り調べてきました。

 

最大の疑問であったのが、津波にあった時期がどうやって特定できたのかではないでしょうか。その答えですが、石灰岩に付着したサンゴが枯れた時期で特定できるようです。

 

 

サンゴは、もちろん海中でなければ生息できません。それが津波で打ち上げられたら、その時点で枯れてしまいます。そのサンゴを炭素14と呼ばれる調査方法で調べると、枯死した時期を特定できるようです。

海中にあった石が、津波によって運ばれて津波石になった経緯を漫画化してみました。

 

 

しかし、よく考えたらこの周辺の岩礁には出っ張った岩塊を見ることはできません。となると、この漫画化は間違っているかもしれません。おそらく、岩礁帯の端部が津波の衝撃で、もげたのではないでしょうか。そこで、書き直したのが下記の漫画となります。

 

 

そうなると、もともとこの津波石があった場所が特定できるのではないでしょうか。国土地位院の地図を参考に、岩礁端部からの距離を測ると、なんと750m程度もありました。

 

 

この考えが正しいかどうかはわからなかったのですが、あながち間違えでは無い気がしました。

その他の疑問として、もともとこの場所にあった大石が、時代の変化とともに海水面の低下があって、地上に出たのではないかということです。その場合は、津波石と下の地盤がくっついているはずです。そこで津波石の研究をされていた方が、直下を掘ることで、自分の目で地続きになっていないことを確認したそうです。

世の中には、すごい行動力のあるフィールドワーカーの方がおられるものだと感動しました。

 

 

(写真の出展元論文:明和大津波研究家,牧野清の研究スタイルとその今日的意義 寺本潔氏他)

 

2.高こるせ石

 

高こるせ石ですが、先ほどの津波大石から車で数分の場所にあります。現在は牧場の境界壁の一部に取り込まれていますが、その全貌を見ることが可能です。

 

 

こちらは、石に付着した、枯れ死したサンゴの年代から、1771年に発生した明和大津波によるものだそうです。

 

 

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今回の八重山諸島を巡る旅はここで完了のはずだったのですが、竹富島で面白い貴重なビーチロックと呼ばれる岩を知りましたので、最後に書いておこうと思います。

 

竹富島の波打ち際は、真っ白なサラサラの砂が一面にあると思う方が多いのではないでしょうか。もちろん私もそう思っており、その期待を裏切らない、本当に真っ白なビーチが一面に広がっていました。

 

 

ですが、西桟橋付近の波打ち際には、意外なことに、黒っぽい岩が広がっていました。上空から俯瞰しても、その岩を見ることができます。

 

 

その時は、”まあ、そんなもんか”とスルーしたのですが、竹富島の西桟橋の歴史を調べているときに、その黒っぽい岩が、なかなか他では見ることができない、貴重な岩だということを知りました。

その岩の名称ですが、ビーチロックと呼ばれています。

 

 

この岩のどこが貴重なのかというと、主に琉球列島しか見ることができないというのもありますが、表面からできた岩石だということです。普通の岩石ですが、すこしずつ堆積した土が、積み重なって、高圧で長い時間をかけて固まって岩石に変化していきます。また、火山活動に伴うものもたくさん見ることができます。

しかし、ビーチロックについては、海岸の砂が表面から岩になっていきます。そのでき方を調べてみました。諸説あるようですが、次のステップを踏むようです。

 

1.海岸線の砂浜が干潮の時に、太陽が強烈に照り付ける事で、砂浜の水分が蒸発

2.海水中にあった炭酸カルシウムが砂を徐々に固めていく

3.それを長年繰り返す事で、徐々に砂が岩となっていく

 

岩のでき方としては、とても異質な事がわかりました。要は、”歴史の浅い”、”若輩者”の岩と表現できるのでしょう。

 

また、このビーチロックですが、海辺の満潮時と干潮時の範囲しかできないということになります。

私が見に行った時は、ちょうど満潮の時間帯でした。

そうなると、竹富島のビーチロックが、目の前に見えている事がおかしいです。その理由ですが、とても簡単でした。昔の海面は、もっと高いところにあったということです。

そのあたりを知ると、海岸線を見ているだけで、昔はもっと水面が高かったんだとか、もしかしたら地盤が隆起したのかもしれないなど、地球の歴史を想像することができて、とても楽しい気持ちになります。

 

今回の八重山諸島の旅ですが、遺構巡りと、岩石巡りをメインに見て回りました。4日間の旅でしたが、天気も良かったのもありますが、なかなか充実する時間を過ごせたと思います。

私の生活圏内とは、まったく違った自然と文化に囲まれた八重山諸島。

次は、真っ青なビーチでゆったりとビールを飲みながら、大自然を愛でる旅にしようと思います。

 

・八重山諸島の旅ブログは、前回で完了予定でした。今回分は、記事にするのをやめようと思っていたのですが、やはり津波石とビーチロックの存在を知ってもらいたくて、ブログにUPすることにしました。

そんなこんなで、今回にて八重山諸島の旅は終わりで、次回からは関西の旅にする予定です。