稚内市の岸壁に、稚内港北防波堤ドームと呼ばれる北海道遺産であり、選奨土木遺産でもある構造物があります。

その特異な形状をドキュメンタリー番組で見てからは、是非自分の目で見てみたいと思っていました。日本の北の最果てにある立地というロマンもありますが、まるで古代ローマの遺跡に見間違う姿にも魅力を感じました。

 

今回は、日本最北端の土木遺産である、稚内港北防波堤ドームをじっくりと堪能する事にしました。

まずは、JR稚内駅からスタートです。駅舎のホームには、「最北端の線路」の看板が残されていました。

 

 

駅舎はわりと新しいのですが、面白いポイントは線路が構内から伸びている事にあります。

また、最端部にはストッパーが飾られていました。もちろんモニュメントなので、ここまで車両が来ることはありません。

 

 

日本最北端の線路と、看板が立てられています。実は、この線路ですが、過去には先に繋がっていました。その繋がった先こそ、これから見る稚内港北防波堤ドームになります。

 

 

稚内駅から、稚内港北防波堤ドームまでは、約500mとわずかな距離です。

かつて、このドームの中に稚内桟橋駅というのが存在していました。

 

 

稚内の魅力を伝える「稚内ブランド」というホームページがあります。そこに、稚内桟橋駅の写真が掲載されていました。

 

 

当時の地図が土木学会の記事にありましたので、転載させていただきます。現在は廃線となっている部分が、しっかりと記載されています。

 

 

それでは、どうしてこういったドーム型の施設(一部駅舎)ができたのでしょうか。まずは全体像を見てみたいと思います。この場所は宗谷湾に面しており、冬場はもろに風雨を受ける場所だったようです。

(ドローンのフライトは港湾局から許可を得ています。ただし、第三者との距離等の制約条件あり)

 

ドーム建設当時の写真が、前述の「稚内ブランド」というホームページに残されていました。

すさまじいとしか言いようがない、ものすごい飛沫です。ドームより先は、とても人が立ち入る雰囲気ではありません。実際に、人が流されたりといった事故も多かったようです。

 

 

 

そこで、波浪や凄まじいまでの強風から人々の命を守るために、ドームを建設したと、当時の記録が残されていました。

その建設時期ですが、昭和6年から11年までと、5年物歳月をかけた、大土木工事であったようです。

また、このドームの発想は、世界的に類のない構造であり、世界でもここにしかない形状だということです。

 

 

ドームの背面が丸い形状なのは、ここで強烈な波浪の力を受け流す為の緩衝部位だと考えます。

 

 

このドームの屋根の最高部には、最終的な波除のパラペットが垂直に立ち上げられています。下からはほとんど見えない部位なのですが、とても凝った意匠で造られています。昭和の初期という事を考えたら、かなり力を入れた構造物だったというのがわかります。

 

 

70本ある円柱の柱と、屋根を支える梁の曲線部分が、とても魅力的です。本当に美しい曲線たちです。

 

 

そもそも、何故このような場所に、このような構造物を建設する必要があったのでしょうか。

その理由ですが、日露戦争と大きな関係がありました。

日露が講和した後の明治39年から、南樺太は日本の領土となっています。そこで、日本の稚内と、ロシアの大泊(コルサコフ)間の連絡船の就航が期待されるようになったようです。

 

 

そして、大正9年から築港作業がスタートし、大正12年には稚泊航路がスタートしています。

昭和3年には、稚内桟橋駅が完成したようですが、その時はドームがなかったので、冬場は鉄道からフェリーに乗り換えるわずかな間で、波浪の飛沫でビチョビニョに濡れた様です。

 

 

そこで、乗客を飛沫から防ぐために、昭和6年から11年にかけてドームの建設を行っています。

しかし、完成後からわずか9年の昭和20年で終戦となり、南樺太はロシア領となった関係で、この航路は廃止となりました。

その後は、稚内駅と稚内桟橋駅の間が廃線となり、また最終的には現在の稚内駅近くにあたらしい港を開設しています。

 

 

さて、稚内港北防波堤ドームは、日露戦争後から始まり、第二次世界大戦に翻弄された歴史遺産とも言えると思うのですが、稚内には『旧海軍望楼』と呼ばれる遺構が残されています。

この望楼ですが、明治35年の日露戦争勃発前に建設されています。目的は、ロシア海軍の監視になります。

 

 

明治時代に、日本最果ての地という事を考えても、かなり重厚な意匠性に富んだ監視所だといえるのではないでしょうか。

 

 

また、少し離れた宗谷丘陵の上にも戦争遺産が残されています。

昭和15年になって宗谷海峡の防衛を行うために、陸軍は宗谷臨時要塞を建設しています。96式15センチカノン砲が4門配置されたようですが、実践に使われていないようです。

残念ながら砲台跡は残されていませんが、望楼らしき遺構が残されていました。こちらは、まったく知られていないようなので、観光の穴場ともいえます。

 

 

 

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稚内といえば、海産物が有名ですので、夜の街を散策する事にしました。

ウニ・イクラ丼はとても美味しいかったのは間違いないのですが・・・

 

 

宗谷黒牛という見慣れない言葉があったので、おもわず注文してみました。

このステーキは、とにかく柔らかくて絶品でした。もしかして、御当地モノという有利さはあるにしても、かつて食べた肉の中でも上位にランクインした感じがしました。

これは、かなりお勧めです!

 

 

日本最北端の旅客用港湾設備がある稚内港。そこには、かつて日本の領土であった樺太へ渡る、船着き場がありました。そして、その乗客たちを荒波から守る土木施設として、稚内港北防波堤ドームが、世界で初めての形式で造られています。

ただ、かなり過酷な環境であることには間違いなく、かなりボロボロになっていたようです。それを姿かたちをそのままに補強工事を行ったようです。

現在では、補強工事も完了して、安心安全な土木遺産を見て、その下を歩くことができます。

稚内観光のお供に、是非いれてやってください(^^)/