佐賀県大町町で、かつて大規模に活動していた杵島(きしま)炭鉱。

そこで採れた石炭は、キシマコールと呼ばれ世界的にも有名だった様だ。

 

明治43年頃に大町町で開坑した炭鉱であるが、当初は小規模な活動であった。その後、高取鉱業がその権利を買い取り、昭和4年には杵島炭鉱株式会社と名称を変更し、本格的な大鉱山へと設備投資を行っている。設備投資が成功して、杵島鉱山は佐賀県で最も大きな炭鉱として有名になっていく。昭和16年には、大町町の全人口の58%もが炭鉱の関係者だったとの記録も残されている。

 

 

その杵島炭鉱に興味を持って調べていたら、昭和44年の町報「おおまち」に、炭鉱の閉山式の様子が書かれていた。

 

 

一つの企業の終焉の話ではあるが、現在の我々が想像する以上の影響があったようだ。

町報には、炭鉱の仕事がなくなって失業した方たちの生活相談や、仕事の斡旋がリアルに描かれている。

当時の炭鉱産業は地域そのものであり、そこが閉山するという事は、町自体までも消滅しかねない様子が伺われる。

 

杵島炭鉱の盛衰と、大町町の人口の推移をグラフ化してみる。

 

 

あきらかに、炭鉱の盛衰と人口増減がリンクしていることがわかる。

 

さて、今回訪れようとした場所は、杵島炭鉱跡の遺構が唯一残されている、坑道跡である。

大町町に確認してみたら、積極的に推奨する事は無いが、立入禁止では無いとのこと。要は、自己責任で見て欲しいということであろう。

 

 

JAさが杵島玉葱選果場を抜けると、わりと簡単に【杵島炭鉱第四坑】跡に到着する。

 

 

鬱蒼とした森の中に、コンクリートの遺構(廃墟)が静かに残されている。

 

【写真①】

 

廃墟の背面側を見てみる。地中に突っ込んだ円形のコンクリート構造物が確認できる。

 

【写真②】

 

少し離れて眺めてみると、その姿がよくわかる。地底から徐々に地表に出現しているといった表現が適当であろうか。

 

 

さて、この杵島炭鉱第四坑跡であるが、地底深く掘られた鉱山の換気を目的に設置された、通気(排気)設備の遺構である。あくまでも排気専用なので、炭鉱への出入口は別のところにあったようだ。

 

坑内通気の主な目的を調べてみた。

 

 

炭鉱の坑内における通気(換気)システムのイメージをマンガ化してみる。このやりかたで、地中深くの汚れた空気を、地上にまで吸い上げて換気するのが原理である。

 

 

 

地底奥深くの空気を、地上まで吸引するファンは、シロッコ扇風機(通称:シロッコファン)が使われていた。

 

【引用:鉱山用器具及び機械 採鉱学 より】

 

それでは、杵島炭鉱第四坑の内部を見てみよう。

 

 

シロッコ扇風機が設置されていた開口部が残されている。

 

 

現地を実測したデーターを元に、シロッコ扇風機の姿を図面化してみる。

 

 

炭鉱内部から吸い上げられた排気が、空気抵抗を極力受けずに外部に出される直前の形状である。極力空気抵抗を受けないようにした構造が、とても美しさを感じる。

現役時代には、限られた人しか見ることができない、とても貴重な空間でもある。

廃墟になったからこそ、誰でも見る事が可能となっている。

 

【写真④】

 

フラッシュを使わない写真の方が、廃墟感を強く感じることができるのではないだろうか。

 

炭鉱奥底へと繋がっていた、竪坑部分はコンクリートで閉塞されていた。

 

【写真⑤】

 

写真の姿がわかりにくいかもしれないので、撮影方向を平面図に記載してみることにした。もちろん、シロッコ扇風機は取り外されているが、念のために記載しておく。

 

 

炭鉱の通気を目的とした設備跡を見る事ができる場所は、全国的にみても少ないのではないだろうか。また、流線形の構造物を近くから自分で見られる場所も、そうそうないであろう。

杵島炭鉱第四坑では、それらを見る事ができる貴重な場所である。

現在こそ立入禁止措置は取られていないが、ここで事故や落書きなどがあれば、たちまに封鎖されるのではないだろうか。

 

とても貴重な遺構である。

 

次に見学に来る人たちの為にも、怪我などをしないように、気を付けて見学しなければならないと思った。

もちろん、普通に来る分には危険性など一切無いし、安全な廃墟である事は間違いないと思う。