馬公厝線(まこうせきせん)は、台湾で唯一現役で残されている、シュガートレインの路線である。その運営は、台湾糖業公司の中の虎尾糖廠が行っており、いわゆる軽便鉄道である。

シュガートレインであるが、サトウキビを運搬する列車を総称して呼んでいるが、台湾では五分車と親しみを持って呼ばれている。

何故五分車と呼ぶのかといえば、軌道幅が標準軌道の半分であるからだそうである。

(標準軌=1435mm、軽便鉄道(ナローゲージ)=762mm)

 

馬公厝線(まこうせきせん)は、日本統治時代に大日本製糖の民間鉄道として大正2年に開業している。その開業を記した、当時の官報が残されている。

     <大正2年10月15日 台湾総督府告示 >

 

また、台湾総督府発行の台湾鉄道史に、虎尾地区の地図が残されていた。

 

 

    <台灣糖業公司版權所有 HPより転載>

 

現在の虎尾製糖は、非常に美しい工場美を見せてくれている。初代工場は明治40年に日本資本により建設されたが、先の大戦で徹底的に破壊されている。その様子を見たくて探していたら、台糖の資料に写真を見つける事ができた。

 

   「台糖履歴ルネサンス」のリメイク(1958年発行)p37

 

 

戦後に台湾資本により、最新鋭のサトウキビ精製工場に建て替えられたようだ。

工場の周辺を散策してみる。馬公厝線(まこうせきせん)とは反対方向に向かうシュガートレインの廃線跡が残されていた。時間はたっぷりとあるので、廃線跡ウオーキングを楽しもう。

 

 

大河を渡る、虎尾鉄橋(こびてっきょう)は、日本統治時代に建設された様だ。初代は明治40年に木製橋梁として架設されていたようだが、鉄道の重量化に伴い昭和6年に現在の鉄橋に架け替えられている。その構造は、橋梁支間長(スパン)によって形式が変化している。

この橋梁は、廃線後も観光用の歩道橋として活用されている。

 

 

1径間目は、下路式のダブルワーレントラスであった。トラスの斜材がX形状になっているのが特徴である。現代の技術では、この形状にするメリットが無いので大正時代以降は造られていないようだ。

 

 

桁の製作は、イギリスのWESTWOOD社が銘板から読み取れる。

 

 

銘板を見ると、ウエストウッド社はイギリスのロンドンを拠点に持つ会社の様だ。この名称は聞いたことが無いので調べてみた。

調べるうちに、私は大きな疑問を持った。

イギリスのウエストウッド社は1856年(安政3年)に誕生した、造船及び橋梁メーカーであった様だが、その活動期間は短く37年後の1893年(明治26年)には解散している。解散した2年後には破産宣告を受けているので、このWESTWOODでの橋梁製作可能期間は、1856年(安政3年)から1893年(明治26年)と言える。

さて、この虎尾橋梁であるが、過去の文献及び虎尾糖廠のHPでは、1931年(昭和3年)に日本資本の大日本製糖が英国ウエストウッド社に設計及び製作依頼を行い、1934年(昭和6年)に架け替えられたとある。

その時期には、ウエストウッド社は解散している事が証明されているので、これらの説明は間違いであるということに気が付いた。

では、架け替えられたというのが間違いでなのであろうか?そもそも、この虎尾工場が造られたのが1907年(明治40年)である。

つまり、大日本製糖が英国ウエストウッド社に設計及び製作依頼を行ったということは、絶対にありえない事に気が付いた。

 

時系列で整理してみる。矛盾した話が理解できる。

 

1856年 ウエストウッド社が誕生

1893年 ウエストウッド社が解散(1895年には破産)

1907年 虎尾工場が開業

1907年 初代虎尾橋梁が木造橋として完成

1931年 ウエストウッド社に設計・製造依頼

1934年 虎尾橋梁の架け替え工事完了(木造橋→鉄橋)

 

さて、ここで日本本土での鉄道橋梁事情に目を向けてみよう。虎尾鉄橋と同様のダブルワーレントラスは、初代木曽川鉄橋(明治20年)や揖斐川橋(大正2年)と同様である。それらは、橋梁の老朽化等で、新しい橋桁に架け替えられている。

日本の鉄道桁は古くなってくると、重要度がより低い場所に移動して架け替えられるケースが多い。

 

それらを考えて、この虎尾橋梁の歴史を考えてみた。結論は、この世界中のどこかに使用されていたウエストウッド社の橋梁が、役目を終えて、この虎尾の地に引っ越してきたと考えるのが妥当であろう。そのどこかであるが、日本の可能性が高いのではないだろうか。

根拠は無いが、この橋梁は、日本最古の鉄橋を転用したものかもしれない。もしかしたら、すごい発見の様な気もする。

 

2径間目は、さきほどのダブルワーレントラスではなく、ポニーワーレントラスであった。この形式は、左右の主構のみが構造体であり、屋根(横つなぎ材)が無いのが特徴である。

 

 

3径間目も同様にポニーワーレントラスであるが、前面の形状が若干異なる。

 

 

4径間目以降は、下路式のプレートガーダーであった。

 

 

虎尾橋梁を歩いていたら、あっという間に時間が経過する。シュガートレインの帰りの便を見に行かなければならない。

まるで廃線の様な雰囲気を持つ馬公厝線(まこうせきせん)であるが、列車の通行時以外は車道として使用されている。

 

 

歩いていたら、突然野良犬に『これ以上先はワシのシマ内じゃけえ、入ってくんなよ』と脅される。これ以上は、一歩も譲らない闘志を見せつけられる。

ためしに、一歩進む。犬も『ガウウ(なめとんかい)』と、こちらに一歩進む。

 

 

どうしようかと思っていたら、シュガートレインがやってきた。犬は、番犬の様である。一歩も引く気配は無い。

 

 

ヒヤッとした瞬間に、横に避けた。

 

 

サトウキビを満載にしたシュガートレインが、民家ギリギリを通り抜けていく。

 

 

シュガートレインが踏切を通り過ぎたら、保安員さんが手動で遮断機を上げる。待っていた、自転車やバイクが飛び出していく。

 

 

本当は、これより先に歩いて行きたかったが、犬様に威嚇されたので他の手段を考える。そうだ、タクシーをチャーターしよう。しかし、この虎尾の街は、流しのタクシーが皆無であり、ようやく見つけた車にも乗車拒否された。タクシー探しでウロウロしていると、荷物を積んだ列車がやってきた。

 

 

シュガートレインのガタゴトした動きや、そのコミカルな車体は、いくら見てみていても見飽きる事は無い。

 


東南アジアどころか、世界的に見ても貴重な現役のシュガートレイン。その貴重な存在から、観光客も多そうだが、じつはほぼ皆無である。ただ、熱烈なファンは、世界中にある一定人数いるようでもある。

間違いなく、近いうちには廃止されると思われるシュガートレイン。来年も、なんとか営業していただきたいと思うのだが、モータリゼーションの波には逆らえないかもしれない。

 

最後に、ダンプでのサトウキビの運搬状況を撮影できた。

 

 

ここで、虎尾でのシュガートレインを見る旅を終えて、台南に移動する事にしよう。

 

もしかしたら、来年度には廃線になるかもしれないシュガートレイン。なんとか、いつまでも現役で残っていてほしいですね。