台湾で最も重要な鉄道路線は、かつて「台湾縦貫鉄道」と呼ばれた、台北(基隆)から高雄を結ぶ路線であり、現在の経済圏の90%を占める地域を縦断している。その路線の全ては、日本統治時代に造られている。その後は、モータリゼーションの発展や、台湾新幹線が完成したりして、相対的にその地位は低下している。また、戦後かなりの時間が経過しているので、橋梁などは架け替えられた物も多い。ではあるが、人々の生活に密着している路線であるのは今も昔も変わらない・・・
台湾の中部に建設された、台中線の旧山線であるが、平成10年までに三義から豊原間の電化及び複線化工事を完了させて、廃線となっている。
この廃線区間には多くの見どころがあるので、全てを見学するのに今回を含めて3回も旅行をしてしまった。
前回の旅行までで訪れた、旧山線の見どころをダイジェストに紹介をしてみる。
勝興車站(勝興駅):かつては台湾鉄道の中で最も高い駅舎であり、明治40年に開業している。平成10年に廃止されるまで91年間使われていた。
開天隧道は、後藤新平氏が揮毫した扁額を持つ煉瓦造りの廃隧道であった。
今でも現役で使われていそうな、多径間のプレートガーダー橋が残されていた。
この旧山線であるが、実は旧々山線も残されている。龍騰断橋(りゅうとうだんきょう)、別名魚藤坪断橋(ぎょとうへいだんきょう)と呼ばれる6径間のレンガアーチ橋であるが、台湾大地震で落橋している。とても不安定な構造物であるが、あえて取り残さずに保存しているところに敬意を感じる。
こちらは、台湾十大土木史跡にも選ばれている、大変価値のある土木構造物である。ここは、次の地震があれば崩落必至である。個人的には、台湾の観光地の中でベスト3に入ると思っている。(九分、阿里山森林鉄道、龍騰断橋)
今回の旅行で見るのは、龍騰断橋から先にある泰安旧駅(たいあんきゅうえき)と、その周辺である。
泰安旧駅は、台湾鉄路管理局縦断線の旧山線の駅であり、現行の泰安駅からは徒歩で20分ほどの距離である。
泰安旧駅は明治43年に開業しており、平成10年までの88年間使用されていた。その後、台湾内での歴史遺産の見直しにより、観光用駅舎として開放されている。
内部は現役当時そのままであり、掃除も行き届いており、かなり良好な保存状態であった。
改札口も古くはなっているが、あえて手を入れなくて、現役当時を表現しているのであろう。
ホームまでは地下通路を渡って横断する必要がある。
島式のプラットホームであった。多くの観光客がいたが、特に廃線マニアといった感じはしなかった。やはり、古きを懐かしむ懐古趣味の人には、いい観光地なのであろうか。
無人になる瞬間を撮影するために、20分ほど待っていた。こういった時間の使い方も、個人旅行の良さであろうか。ちなみに線路上から撮影しているが、もちろん問題無く、自由に見学が可能である。
駅舎から南方向(台中駅方向)は、線路が残されている様だが整備されていないので見学はあきらめた。
廃線跡は、北側方向(台北方向)には歩いて行くことが可能な様だ。枕木を踏みながら歩いて行く。廃線跡ウオーキングは、足元が凸凹しているので、ゆっくりとした動きになる。当然景色の移り変わりもゆったりとしているので、その風景が脳裏にやきつく。ただ、あまり景色に熱中すると、枕木に躓いて転倒しそうになる。
単径間のプレートガーダー橋が残されていた。歩くところは、中央に細い鉄板が一枚だけ。お年寄りの方は、ここで引き返すケースが多いようだ。しかし、中には熱い議論をしている家族連れもあった。その雰囲気が、聞いていて面白かった。
「おじいちゃん、ここから先は無理やし帰ろうか」・・・孫娘
「いやいや、これくらいなんともないぞ。ワシはまだまだいけるぞ」・・・おじいちゃん
まったく台湾語を理解しないので、想像ですが。
本線と並行して、側線が歴史の中に埋まっていた様だ。この先はどこに行くのだろうか。気になるが、ここは異国の地なので、無理な探検はやめておこう。
廃線跡ウオーキングの終点は、泰安駅から1km程度先の鉄橋であった。
大安渓鉄橋(だいあんけいてっきょう)は、下路式曲弦ワーレントラス鋼橋である。200フィートの桁が8本使用されている様だ。ただ、昭和10年の台中地震の被害で、かなり損傷したようだ。現在の橋が、当時の物か架け替えられた物かはわからなかった。
下路式曲弦ワーレントラスは、側面からみたら、その形状と美しさがよくわかる。
今日も一日、たっぷりと観光をした。歩きすぎで足が痛くなってきた。そろそろ引き返して、ホテルでビールを飲もう!
やっぱり、廃線跡ウオーキングは楽しい。
最後に旧山線について、台湾総督府鉄道部が明治43年に発行した台湾鉄道史の工事位置図を利用して、記すことにする。