別府鉄道(べふてつどう)野口線は、加古川市役所に近い野口駅と別府港駅の3.7kmを結んでいた廃線跡である。開業は大正10年(1921年)で、廃線となったのは昭和59年(1984年)で、使われていたのは63年と短いものであった。
設立の目的は、現在の多木化学で製造された化学肥料を運搬するためであり、土山線が開業した後は旅客運輸が主体に変化したようだ。
それでは、別府鉄道野口線跡をサイクリングだ。廃線後34年だが遺構は残っているだろうか。
 
路線の起点は、加古川市役所から徒歩圏内である野口駅。旧国鉄高砂線との接続駅であった。島式のホームが1つあるだけで、背中合わせで使われていたようだ。線路と動輪、駅名標が残されていたが、モニュメントのようだ。
 
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野口駅より先は廃線跡を、「松風こみち」と呼ばれる遊歩道にしている。
 
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灼熱の遊歩道(自転車OK)をノンビリとサイクリング。
 
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当時の橋梁が、遊歩道として再利用されている。かなり錆び付いてはいるが、頑丈そのものの外観。
 
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この規模の橋梁としては珍しい、下路式のプレートガーダー。たしかに、河川までの距離がないのでやむおえない選択だろう。
 
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藤原製作所前駅跡。周辺の再開発から取り残された廃線跡。しかし、、近所の人々の散歩道として有効利用されており、結構人通りが多い。
 
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円長寺駅跡付近の公園に保存されているキハ2。気動車であり、塗装が綺麗に塗りなおされている。列車については専門外なので、見て楽しむだけ。
 
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廃線を自転車を押しながら歩いていることで、発見できる楽しみもある。

別府鉄道の境界杭。トヨタのマークXと似ている。頭部が半分欠けている。

 
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廃線後34年が経っても交差点に残されている、レール跡。
 
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現役の山陽電鉄の下を走っていた別府鉄道。橋台が煤けているのは、気動車からの排ガスの影響であろうか。
 
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別府鉄道の看板残されていた。鉄道事業からは撤退したが、事業としては不動産業として存続しているようだ。
 

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別府鉄道野口線は、別府港駅から先は多木化学への専用線が延びていたようである。遺構は残されていないと思うが、多木化学へは進入禁止なので調べようがない。
 
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廃線跡が遊歩道に転化されて有効活用されている、別府鉄道野口線。

これ以外にも土山線があったそうなので、今度はそちらも巡ってみよう。