天理軽便鉄道は、奈良県にかつて存在していた路線である。いまから、103年前の1915年に開業されて、1945年には廃止されている。

新斑鳩駅新法隆寺駅から天理駅を結んでおり、昔からのローカル路線であろうか。廃止されてからも、73年が経過している。どれだけの遺構が残されているのだろうか。
なんとなく、大正ロマンを感じる路線。非常に楽しみだ。
 
訪れたのは、とある日曜日。春を感じます。
 
スタートを新法隆寺駅跡と決めたが、道がメチャクチャややこしい。ナビでも迷った。また、駅前にも駐車場がない。とりあえず、仮止めして歩き出そう。
その前に、跨線橋から現在の法隆寺駅を眺める。
 
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どうも、駅横にある交番の背面を通っていたようだ。思い切って、中の婦警さんに尋ねてみる。「この交番の裏側に、昔、軽便鉄道が通っていました?」
やっぱし思った通り不審な目で見られて、一言「知りません」
しかし、この交番の裏側は、どう考えても廃線跡と思われる。たぶん、このへんが新法隆寺駅跡じゃないだろうか。
 
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気を取り直し、ブラブラしていると小川(ドブ川)にかかる小さな橋台跡を発見。
 
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橋台跡を使用して、ごみステーションへの仮設橋に再利用されている。
 
 
それから先も、なんとなくトレース出来る。
しかし、それから先は住宅街で、完全に開発されているようで、なんとなく廃線跡を見失う。
グーグルアースの写真地図をみていると、その住宅街を抜けると、なんとなく線路の跡が見てとれる。
少し広めの道路に、駐車させてもらって歩き出す。
農道のような畦道だが、明らかに線路跡がわかる。
 
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また、小川を渡る、煉瓦造りの橋台をみつける。畑でくつろいでいるおじさんに確認したら、やっぱりビンゴでした。
 
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どうも、この廃線跡は通学路も兼ねているようだ。女子高生が部活帰りかポツポツ歩いている。
寂しい場所なので心配するが、そんだけ田舎で安心なんだろうか。
 
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明らかな、築堤に変わって行く。歩いていて、楽しいぞ。1kmくらいはあったろうか。
 
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大きめの川で、廃線跡は分断されてしまった。
やむおえず、引き返して車で次に進む。
 
そして、分断された先がこそが、この天理軽便鉄道の最大の遺構であった。
ため池のど真ん中に、築堤が続いている。入り口があったが、全開であったので歩いてみよう。
 
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冬なのでなんとか歩ける。
そして、イギリス積みの橋台に辿り着く。
この場所は、木戸池築堤と呼ばれていたそうなので、この橋台跡は、木戸池橋梁だったんだろうか。
非常に感動を覚える。
 
天理軽便鉄道の遺構探し木戸池橋梁
 
池の周りも歩いてみよう。遠目から見る木戸池築堤と橋台跡もいい。いちおう、列車が通過するのを待っていました。
 
 
 
アップで見てみると、なおいっそういいですねえ。
 
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一応、続く。