長野電鉄屋代線は、千曲市屋代駅から須坂市須坂駅までの24.4kmを走っていた民鉄である。開業は1922年6月であり、廃線となった2012年4月までの90年間運行されていた歴史ある路線である。今から30年以上前の学生時代の旅行時に乗ったような記憶もあるが、鉄道ファンではなかったので正直、詳細は覚えていない。
廃線となって5年しか経過していない。ある程度のレールは撤去されているだろうが、まだまだ残されている区間も多いのではないか。非常に楽しみだ。
さて、廃線跡を探すのは屋代駅からスタートしよう。
反対側のホームのさらに向こう側に使用されていないホーム跡がある。それが、長野電鉄屋代線で使用されていたもので、現在は立ち入り禁止である。
 
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しなの鉄道の列車を初めて見た。鉄道はくわしくないので何かわからないが、真田の赤備えと関係あるのだろうか。
 
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最初の遺構は、現役の踏み切りと平行して残っている線路跡。
 
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このへんは、平行して走っていたのだろう。架線柱が広い。ただ、線路は撤去されている。
 
イメージ 5写真-2(踏切から撮影)
 
これから、本格的な廃線跡探索である。廃線跡に沿って道路が通っていないので、あっち行き、こっち行きだ。でも、道路との交差部分はわかりやすい。なぜなら、踏み切り内部の線路を撤去して、その後で舗装しているからだ。
 
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東屋代駅に到着。遺構は、完全に撤去されて更地になっている。
 
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上信越道の手前の廃線跡。バラスとのみ残っている。
 
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枕木を利用した、境界杭。よくみかける構図だ。
 
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非常に広い敷地である。どうも、雨宮駅跡と思われる。確認だけしたいのだが、住民が誰もおられない。
 
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しばらく、鉄道由来の築堤跡が続く。
 
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そして、千曲川の支流である択山川を横断する橋梁跡を見つける。とても大きな遺構である。
 
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名称は、択山川橋梁。桁の製作は、宮路鉄工所。
 
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竣工年は1988年。えっ?計算があわないぞ。ということは、昔の橋梁を撤去して、架け替えたのかもしれない。でも、架け替える間は運行できないだろうし。ということは、この横に、旧〃線があったのかも。
 
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択山川に沿って、鉄道は走っていた。
 
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by 割石太郎