北恵那鉄道の廃線跡をめぐる旅も、メインであろう木曽川を渡った。次の駅は、恵那峡口駅。
ここは、廃線になってからもバス停として使われていたらしい。立てかけられた看板を読んでみる。どうも、ここから恵那峡めぐりの船が発着していたようだ。今は廃止されているけど。
この駅舎であるが、どうも向きがおかしい。そして、この建物の上にはホームのようなものがある。
 
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たまたま散歩されていた方がおられたので、聞いてみた。やはり、この駅舎の上にホームがあったそうだ。今は、目の前の道ができたので、築堤を取り壊したみたいだ。
そして、北恵那鉄道のことや、これから先の残っている遺構について、場所も含めて親切丁寧に教えていただいた。

 

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廃線跡は、絶対に左方面だと思っていたが、実は右方面が正解だそうだ。ただ、この先は狭い道で通行止めらしいので、次の遺構を見るのは左方向から行ったほうが良いとの情報どおり、左に進む事にする。
いろいろと教えてくれたおじさんへお礼を言って出発だ。ちなみに、この廃線跡をめぐっている人は、皆無ではないけど、いるにはいるみたいだ。
変な趣味の人がいるのはうれしい。
 
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ほぼ人通りも車の往来もない道を進んでいくと、木曽川の支流を渡る橋梁に出会った。
 
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狭い道なので車を駐車するスペースが無い。でもよく考えたら、まったく車が来る気配がないので、路肩駐車だ。
すっ、素っ晴らしい景色です!
あまりにもの景色に、見とれてしまう。
まるで曇りがちの富士山登山で、とつぜん霧が晴れた様な圧倒感である。
 
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3径間プレートガーダー橋だろうか。
 
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橋台も橋脚も、切石積みである。丁寧な施工で、目地の通りも、石の水平度もいい。この橋が作られてから94年が経過しているのに、一切の不安要素もない。すごいの一言です。
 
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さて、これからの廃線跡は苗木城がある山を右まわりにぐるりと回っていくと思われるが、車道は左回りだ。しばし、廃線跡とはお別れだ。
 
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苗木城を過ぎると、再び平地となる。苗木駅と上苗木駅と思しきところを通過する。ただ、あくまで遺構は無いので、カンだけど。

 

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