福岡県大牟田市は、明治以前は三池藩と呼ばれており、立花氏が治めていた。

島原の乱があった時期の大干ばつで危機意識を持った三池藩は、貯水池の造成と、灌漑用水の整備を藩として推進することにした。貯水池は、人力の投入という単純な施工が可能なものの、大牟田川を渡す方法に苦慮したようである。かねてから木造橋の実績は多数あったが、恒久的なものではないことから石造りの橋梁を計画している。そして、藩内の石工に架橋させるも、うまくいかなかったようだ。

その時期から遡ること40年前の1634年に、長崎市にある眼鏡橋で日本最古の石造アーチ道路橋が中国人僧の指導で架橋されている。その事を知った藩庁は、長崎の石橋を架橋した技術者に工事監督の依頼をしたようだ。そうした経緯を経て、1674年に早鐘(はやがね)眼鏡橋が完成している。これによって、早鐘池からの灌漑用水を藩内にいきわたらせ、干ばつから農業を守ったといわれている。

そして結果的に、この橋梁は「現存する日本最古の石造アーチ水路橋」という名誉ある称号を得る事に成功している。

 

さて、早鐘眼鏡橋だが1970年に重要文化財に選ばれている。だが、現地を見る限り観光地化はされていないようだ。グーグルマップで検索が可能なことが救いである。

県道3号線からは遊歩道を少し歩けば、アーチ橋梁が目に入る。その下に流れているのは大牟田川であるが、あまりにも小さい。単なる水路のようだ。調べてみたが、大牟田側は近年に付け替えられているようであり、この川は大牟田川の支流といったところだろうか。

 

 

 

大牟田川から早鐘眼鏡橋を上流側正面から眺めてみる。とても美しいアーチ橋梁である。

 

 

下流側からも見てみる。逆光でうまく撮影できなかったが、こちら面も味がある。

 

 

 

この橋梁の最大の特徴と考えるのが、アーチ部材を構成する輪石(迫石:せりいし)の上に上載荷重が少ないことにある。ここまで薄い橋梁は簡易的な橋を除いた本橋では珍しいのではないだろうか。

 

 

 

ここを造った技術者は長崎眼鏡橋を手掛けた流れを組む石工だと言われている。長崎眼鏡橋は漆喰を使用した目地を設けていたが、ここは荒々しく形を整えた石を目地なしで直接使用している。

 

 

石組を下から見上げる事ができる、貴重な橋梁である。おおよそ350年間もの間、荒々しい自然の驚異に打ち勝ってきた姿に感銘を覚える。

 

 

橋梁の上には水路がある。もちろん、この橋梁は水路橋なので、この”水路”が主役である。

切り石を使った三面水路が観察することが可能である。残念ながら、この水路は現役では無く、廃止されている。理由は、炭鉱の発展とともに溜池が汚染されて、使用できなくなったのが現実だそうだ。(地元の散歩をされていた方より)

 

 

橋梁横に、石碑が残されている。三池藩藩主の名前から、家臣の名前までが掘られており、判読が可能である。古文書に興味がある人には、風化していない石板は魅力的ではないのだろうか。

 

 

 

石橋であるが、とてもすごい構造物である。では、何がすごいのだろうか。

そのカギは、”ほつま工房”さんが作成された「あなたの街に石垣を」で詳しく述べられている。

 

①石橋は、現在のコンクリートや鉄製橋梁よりはるかに丈夫である。

②石橋は、石材が単独なので地震に弱いと言われているが、実際は逆である。

 

特に興味があるのは、石橋は地震に強いということである。それは、石材が個別に組み合わせられている事にあるようだ。要するに、地震で石材が揺れたときに、目地が開閉することで減衰効果を持つようである。

 

私的には、石橋の本当の凄さは、適切に使用すれば驚異的に長持ちするということだと思う。

現代の橋梁は、目指せ100年!として設計されているようだが、石橋はそれこそ1000年単位で現役でいる事が可能である。(国内では本格的に使われだしてから400年程度だが、海外では1000年以上現役の物がたくさんある)

 

城の石垣もそうであるが、石橋もなんともいえない魅力を持つ。はっきり言って、大好きです!