昨年は琵琶湖疏水の旅に熱中していた事があって、全水路を6回に分けて歩いてきた。その中のハイライトは蹴上発電所の内部見学であり、明治の煉瓦構造物に感動したのは記憶に新しい。

その琵琶湖疏水の中で、工事が最も困難であった区間は第一トンネルである。その延長は2436mであり、明治の土木技術の黎明期には、大変な困難が伴ったと想像できる。

ここから、少し離れた場所で日本人単独で初めて施工した鉄道トンネルとして、逢坂山隧道が残されている。その完成は明治13年である。琵琶湖疏水第一トンネルは、そのわずか6年後に着手していることから、西洋式トンネルの掘削技術がまだまだ手探りだったんだろうか。

 

 

それらの旅の中で、気になるキーワードをあった。それは、建設中の琵琶湖疏水の第一トンネルで崩落事故が発生して、多数の人々が生き埋めになったということだ。

明治時代の事故ということで、紹介されている文献や報告書も発見できなかった。ある時、図書館で過去の新聞検索サービスを利用する機会があったので、”明治時代 琵琶湖疏水 第一隧道 事故”で検索をしてみた。そうすると、読売新聞の明治21年版で発見する事ができた。

 

 

その記事を意訳してみる。(文章が旧字体で、かつ印刷がつぶれて判別が困難であった。よって、文意の大部分は想像である)

 

読売新聞 明治21年10月12日 朝刊2面より

隧道崩れの詳細。琵琶湖疏水工事中の第一隧道東口より約八間(14.4m)のところから奥へ四間(7.2m)ほど崩れて65名が中に閉じ込められた事を記事にしたが、その詳細が判明したので報告する。

 

10月5日の夜10時30分頃、ガラガラと隧道の崩れる響きに係員が驚いて駆けつけたが、両側から土砂が崩れ人足が皆埋まっていたようであった。残った職員と人足で夜を徹して崩れた土砂を掻きだした。また、雨が降ってきたので、崩れた上に屋根を設けて水が浸入するのをふさいだ。

 

中の状況はまったくわからない。生き埋めになっている可能性もあるし、時間がたてば酸欠になる可能性もある。事故発生後、ただちに京都府と滋賀県に急報していたが、まっ先に馬に乗った北垣国道京都府知事が駆けつけ、続いて滋賀県警察署長も到着した。

 

救出隊は4班に分かれ、1班は崩落した土砂の掘削、もう1班は掘削土砂の搬出。また、頭上から掘り下げる1班。そして、最後の一班は三井寺下の三尾神社の南手から掘っていった。

10月6日午後2時20分頃、65名が閉じ込められた穴の上に到達する。そうすると、下から止め込められた人達から大きな声が聞こえる。「土が落ちるからやめろ!やめろ!」

とにかく空気穴はできたので、一安心する。さらに上から掘ろうとするが、土砂の崩落がひどいので中止する。北垣国道京都府知事も穴から声をかけて励ましていた。

 

救出隊は、坑口からの掘削に集中する。

同日3時頃には、閉じ込められた内部からの掘り進める音も聞こえてきた。空気を送るために備え付けられていた鉄管から握り飯を転がしたりして、内部に食料供給をしていた。

10月7日午後3時30分に、崩落土砂が貫通して内部の65人全員が無事に救出された。崩落から、実に41時間後の事だった。

最後に新聞は伝えている。北垣知事たちから熱い言葉をもらって、一同感泣せりといふ。

 

まるで映画化された様な内容であるが、実際は映画化も小説化もされていない。今となってはこの事を誰も知らないのが現実である。

 

現在の琵琶湖疏水第一トンネル入口と、崩落場所を推理してみると、下図になると思われる。

 

 

ここまで調べたところで、琵琶湖疏水の第一トンネルを再度見に行くことにした。

 

琵琶湖から出発する。

 

 

琵琶湖疏水の一番好きなポイントは、大津閘門付近から見る第一トンネル。

 

 

第一トンネルの入り口部分。ここから、14.4m入った内部で崩落事故が発生している。

 

 

 

ここまで来たら、小関峠を越えよう。峠を越えて少し下がると、第一トンネルを掘るために設けた第一竪坑(シャフト)がある。

 

 

 

小関峠を下りきったところに、第二竪坑がある。

 

 

最後に、琵琶湖疏水第一トンネルの崩落事故のまとめを、土木学会付属図書館デジタルアーカイブスからダウンロードした田辺 朔郎著 『琵琶湖疏水工事図譜』 明治24年発行を参考に行う。

その中に、第一トンネルの実施工程表が添付されれいた。崩落事故の件を生々しく読み取ることができる。

 

 

崩落した場所は、煉瓦覆工を行う直前であったようだ。壁部分のみ煉瓦積みが完了しており、アーチ部分の巻き立てを行う直前に崩落したようだ。

 

 

世紀の大事業といわれた琵琶湖疏水であるが、知れば知るほど奥が深い土木構造物である。もっと、深く知りたくなってきた。