リアルファンタジア…幽体離脱、バシャールがやってきた レビュー0xe | ヘミシンクピンポンパン

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ヘミシンクと幽体離脱体験記

 

私には3回チャンスがあったにも関わらず、逃げ出してしまった。ただ黙ってじっと座っていれば良かったのだと人はいうかもしれないが、あのときそこにいれば、試されていたのだということがわかる。受け入れる準備が整っているのかどうか、私は88年、89年、91年と3度試され、3回とも落第してしまったのだ。

(続く)

 

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《幽体離脱、バシャールがやってきた…リアルファンタジア レビュー0xe》

今では私も毎日がチャネリング状態だが、1989年当時そのようことは特殊な力を持ったごく一部の能力者にしかできないことだと思っていた。その時もう既に青さんはこのようなメッセージを受け取っていたのだから、この隔たりはものすごいものがある。もしこのとき青さんと出会っていたら、全く噛み合わなかったろう。

 

私はガリガリの物質信奉者でスピリチュアルには強い関心を持っていたが、それらは全て物質科学の対象として、その範疇に入るのだと信じて疑うことはなかったのだ。いま笑スピとか笑ヘミと私が呼んでいる、畜獣おむつ猫ゾンビ族の中にこの種の人々がたくさんいる。

 

スピリチュアルを語りながら、その思考方法は霊界に物質界の慣習や物質科学の思考方法をそのまま持ち込み…と言うよりこの世のしがらみ、つまり物と金と見栄に対する束縛、執着を断てない人達なのだ。平たくいえばこういうのをプレアデス反映というのだが。

 

 

日本のヘミシンクの総元締めであるアクアヴィジョンの坂本さんの盟友、山川健一氏もまた光の紐について、著作《リアルファンタジア、2012年以降の世界》でその体験を書いている。

 

今では私の記憶はかなり曖昧になっているのだが、確かこの本の最後の方で、疾走する車のホイールから、緑白色に妖しげに輝く光の紐が吐き出されるように、次々と放射されそれが運転中の山川氏に向かって襲いかかってきた、云々のことが書かれてあった。それを読んだのは10年近く前だが、私はその件を興味深く読んだことを覚えている。

 

山川氏は作家で評論家でロックミュージシャンで、著作は100冊あまり。ボーカリストとして活躍し、CDを出し、カーキチでもあり音楽と車の評論集もたくさん発表している。90年代からはスピリチュアルに傾倒し、オーラ幻視者であることを表明し、ヘミシンクにも強い関心を寄せこれらの方面の著作もたくさんある。

 

常に時代の先端を突っ走っているような感じで、ここ数年はヘミシンカーでもあるようだが薬物体験者でもあり、体験の信用度は低い。この人はさらに大学教授でもあるらしいのだが、ニューエイジ関連の著作は典型的笑スピ本でほとんどマンガだ。

 

あちらこちらから引っ張ってきた、それらしい記事を適当に並べて、それらしく書いた本で、読み手を甘く見ているのか、ただ流行りのスピリチュアルを一通り並べてみせ、そんな程度の薄っぺらいものだが、笑スピ笑ヘミ読者にはこの程度がちょうどいいのだろう。

 

フィリップKディックにとっても、光のビームは薬物依存という方向に走らせてしまったようだが、彼の作品は少なくとも私にとってはつまらなくても、辛辣にして形而上の世界を扱っていることはよくわかる。山川氏にとって光の紐はステイタスと物欲と金銭欲を満たす方向に作用したようだ。

 

ウィキ《山川健一》

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E5%81%A5%E4%B8%80

 

 

光のコンタクトから落第し続けた私は、しかしそれによって別のルートが開け、私は91年に忽然と…神と直接繋がった。神様の存在を信じる人にとっても神と直接つながるなどという体験は恐らく信じないだろう。それは神を知らない証拠とも言える。

 

私にとっては、むしろこちらの方が良かったのだと思っている。レーザービームから逃げた私はその後、一瞬による覚醒ではなく20数年かけてそのルートを辿り、今もその道をノロノロと歩んでいるのだろうと思う。しかしこの雨がしとしとと降り、雷が鳴る季節がやってくると、もう一度そのチャンスがあるかもしれないなどと、ふと深夜そんなことを考えたりもする。

 

 

この《幽体離脱、バシャールがやってきた》の記事をきっかけにして、再度記録を取り直すのは私にとっていいことだった。もし前回の記録を読まれたことがある人がいたとしても、それを覚えていることはないだろう。書いた私自身が、それがいつだったのか、どこにあるのか思い出せないのだから。

 

6月4日から書き始めたこの記事は、もう一ヶ月近く続いており、既にこの時点で5万5千文字を費やしてしまった。最終的に6万文字を超えてしまうだろうが、まだ続きがあるのだ。これで終わりではない。むしろここからがスタートなのだが、それはまた別の機会にする。

 

いま今回の記事を読み直してみると、これでもかなりディテールを省略していることに気がつく。ブログという形式ではクドクドと書いているとたちまち文字数制限に引っかかり、どうしても駆け足で通り過ぎようとする。本当はもっと多くのことがあったのだ。私はブログとは別に書いているものがあり、それはいつか電子書籍にするつもりでいる。

(続く)

マサト