オリオン存在…バシャール、アセンションを語るNO2 | ヘミシンクピンポンパン

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ヘミシンクと幽体離脱体験記

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バシャールもこの系統のチャネリングで、ザ・ナインが9代目だとしたらそれ以降の存在だと思われる。私のワークでも聞いたことのない言葉をよく聞くが検索してみるとアラビア語だったというのはかなりあった。バシャールは確か司令官とかそんな意味だったように思うのだが。
(続く)



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《バシャール、アセンションを語るNO2…オリオン存在》 


バシャールたちが地球を発見したのは比較的最近、大戦後のことだと彼らは語っているので事実関係が合わないではないかと思う人がいるかもしれないが、それは彼らが接触したこのカオス宇宙、地球のゲートが《最近》という時空間にあったことを意味し、彼らはそこから我々がはるかな過去とか遥かな未来と呼んでいる場所、あるいはその物語という歴史があった我々の意識をくまなく探索し、そこに彼らの痕跡を残したのだ。

そうすることで彼らは我々の過去と呼んでいるパラレル世界に入り、彼らは神話の世界にも登場する。それらを我々が発見することによって気づきや覚醒へと繋がるように仕組んでいるのだ。そうした発見は我々が地下とか、地底とか長い間封印されたままの光のささない、開かずの間とか屋根裏と呼んでいる場所、つまり我々の内部空間に刻印されたのだ。

内部空間、内部宇宙を提案し肯定する人々は多いが、それを観念的存在だと思っているのかも知れない。内部宇宙は単なる考え方であり、ものの見方であり、たわいない比喩に過ぎず無邪気な言葉遊びなのだと。あるいはそれは心の中のこと、無意識や集合意識と呼ばれているもののことだと思っているかもしれない。

それは間違いではないが、その見方は内部宇宙のほんの僅かな一面にすぎない。あるいは心の中とは何を指しているのか何もわかっていないのだ。心の中!それこそ言葉遊びではないか。心の中とは物質の内部のことであり、あるいは物が光と電磁波を遮り、影と闇を生んでいるその内部の事だ。内部宇宙を覗き見ようとすれば、内部空間が存在しないとされている素粒子にまで行き着き、そこでようやく物質と非物質の境界が見えてくる。そこが物質界の地平線であり、心の宇宙はその先にあるのだ。 

我々が物の表面を見、知覚し、認識するその内部を内部空間とか内部宇宙と私は呼んでいる。 我々は常にどんな場合でも物の表面を撫ぜるようにしか物の外側を見ていない。 そして常に我々の知覚は正面にしか向いていない。決して物の後ろを、背面を、そして内部を見ることは出来ないのだ。 それを知覚背面、知覚正面、知覚内面と私は呼んでいる。


幽体離脱というのは意識的に出来るのだということを私が初めて知ったとき、その驚愕の体験を主導した存在がバシャールだった。それは91年であり、そのとき彼らは4人の小人としてあらわれていたが、それは私だけでなく体脱体験者の多くがその存在を目撃しており、彼らは伝説の存在として我々の神話世界にもあらわれているのだ。

体脱というのは一人でやっているわけではない。バシャールフォロワーたちは動画と書籍ばかり追い掛け回し、さながら宇宙人カルトの狂信者のような感じだがこうした人々も笑スピへと堕ちていく。彼らはあなたの中にいるのだ。そんなものを追いかけずともあなた自身の記憶、思い出、心のなか、夢のなかにバシャールは入っている。

彼らはO(オー)と呼ばれる存在として、現代の神話、アニメやマンガなどにも頻繁に顔を出している。我々にとって最大の肯定、ポジティブを表す言葉として日常頻繁に使われる言葉《OK》は世界中で使われているが、この言葉にも彼ら《O》の介入がある。《O》とはオリオンのことでありバシャールはオリオンの存在なのだ。


この日のワークの2日前に長らく放置状態で、何処にあるのかもわからなくなっていた土地が不意に売れた。他にも役立たずで、どうにもこうにもならないような山林の土地が何万坪とあり、別荘地や元田畑みたいな今となっては何処にあるのやらもわからない土地が他にもいくつもあった。

それらは場所を特定するのも困難で、その境界を調べるのは途方も無い作業となってしまい、いつかお隣さんとのトラブルのもとになるに違いないのだ。実際このワークの一週間ほど前にそのお隣さんの一人から電話がかかってきた。それが始まりのきっかけとなったのだ。

これらは今では所有すること自体が頭痛の種であり、バブルの頃は引く手あまたでもてはやされ数億円の不動産価値があったらしいのだが、今はただでも買い手がつかなくなっている。欲望の成れの果て、宴のあとの空虚なゴミカスでしかないものが私の手に押し付けられてしまっているのだ。私だったらこんな馬鹿な買い物は決してしない。若干とはいえ税金や管理費用だけでもバカにならず、この20年間で相当なお金が虚しく消えていった。

時代が変わり現代ではグーグルの衛星写真で、雲の上から位置と境界をチェックできるようになったらしい。県庁の土木課もそれを利用しているというのだが見たいとは全く思わない。山やら海岸線の土地を想像しただけで頭痛さえし、これらを処分しないかぎりアセンションはないなどと思っているのだ。

それは大げさでも冗談でもなくアセンションとは捨てること、手放すこと、諦めることにあり、それらを悟ることにあるのだ。ガツガツとあれこれも手に入れようとする人々がプレアデス人であり、その本能的なまでの精神の貪欲な働きをプレアデス反映という。これは無知な私に押し付けられたプレアデス反映の後始末のワークだった。

(続く)
マサト