朝日新聞で、三橋氏が10代の妻をDVしたとあったが、前妻となる「さかき 漣」氏の2015年6月19日の記事「DV加害者の二枚舌と“共犯者の存在”」が旦那となる三橋貴明氏に向けての内容ではないかと疑っている。

 

引用:DV・虐待について勉強することを、私はライフワークのひとつとしている。

たとえば、ある人物が、公の場では「同じ共同体の仲間と助け合おう」と堂々とのたまいながら、しかし私的な場面においては、もっとも小さく身近な共同体である「家族」の仲間に対して平気で暴行や虐待を加えているとしたら、どうだろう。

 

※まずライフワークの一つとしていることは、毎日何かしら受けているとなる。

 

略)

 

引用:しかし同時に、多くのDV加害者は、公の場においては非常に人当たりが良いのである。サディストどころか、柔和で誠実な人物像そのものに、さらには「少し気の弱い人」に見えたりもする。なぜだろうか。
実は彼、この公の場において、穏やかな笑顔や挨拶を周囲にふりまきながら、内心に巨大な負の感情をつのらせているのである。つまりは「なぜ俺がこんな馬鹿ども相手に頭を下げなきゃならないんだ」という憤懣の鬱積である。そして鬱積が最高潮になった状態で、彼は帰宅する。

 

※ライフワークとしている綴りから、ある人物→彼は と変わっている。すなわち最初は例え話から自分の場合へと変わっている。

 

引用:(つまりは餌も寝床も生殺与奪の権さえも自分が握っている生き物)が“いる”ではないか。密室であり傍観者は誰もいない今、彼は、本日のすべての鬱憤を弱者にぶつける・・・
さて数時間後、彼の気持ちは晴れやかだ! 目の前にはボロ雑巾のような生き物が横たわっているが、水と餌を与えておけば明日にも治っているだろう、と彼は考える。
「このメシは誰のお蔭で喰えるんだ、言ってみろ、クソババア」
「あなたのおかげです」
「感謝しろ。“さっきのこと”は、自分が悪い人間だから叱ってもらったのだと認めて土下座しろ」
「私が悪いからです、あなたは悪くありません、申し訳ありませんでした」
「よし、喰え。俺ほどあんたのことを大事に思っている人間はいない、分かってるよな。あんたは俺の庇護がなければ生きていけないんだ。明日は服を買ってやるぞ」
そして彼は、また翌日も、穏やかな笑顔でもって颯爽と社会へ出ていくのだ。

 

 

 

※ある人物としているが、このように生々しい内容はある人物ではなく旦那のことを意味している。しかも、この口調は三橋氏と似ている。あとの部分はご自身の目で見てほしい。

 

http://rensakaki.jp/blog/902/

 

 

正党はなぜ?このように三橋氏が不利となる記事を書く?と思われるでしょう。

 

どうせ安倍支持者・リフレ派が、このような記事を書くのだから、支持者側からこのように批評することが大事だからだ。

 

そして現実に目を背けず、新しい価値観のもとで物事を考えてもらいたい思いがある。