ようやく一山落ち着きました。

終わったというよりも
ようやく着水したかという感じです。

目の前に広がる大海原には
偉大な老魚から新進気鋭のやつやらみたことないやつまで
色んなのがいたり、
スピードの速いやつ、群れをなしてるやつ、マイペースなやつ
ほんと色んなのが居ます。
さて、じゃあその大海原で僕は、どう漕ぎ出すか。

敬愛する亡おじいちゃんの座右の銘を思い出しました。
「他人に泳がされるな、自分で泳げ」

漕ぎ出したから見える世界のために
ではなく、
観たい世界の為に今を漕ぎ出す。

いいタイミングで
最高の話をさせていただきました。

ヒロさん、ありがとうございます。

速いやつはいくらでもいる、
僕が生きたいのはそこのスパイラルじゃあないんすよ。
もっとぶち抜けたとこまで行っちゃいたんす。

いや、行ってみたいんです。


月明かりとラムコーク

満月の時の月の表面はどうなってるんでしょう。
光り輝く世界なのかな、
現実とは裏腹にやっぱり、、、
光り輝く世界を夢見ちゃう僕です。
旭川雪祭り行ってきました。

今年もにょきっと生えた出た氷の空間には
たくさんの驚きと未知への興奮のキラキラした瞳がたくさんありました。
時間を止められた瞬間の瞳と氷はよく似ています。
幾重にも重なって澄んだ青

はじめて藻岩山の上で訪れた時の感覚がフラッシュバックしました。
あのときめきを思い出しました。


目先の一生懸命は
時間的、空間的に両方のトータルバランスで見ると
実はそこじゃなかったってことがよくあります。
普通の感覚じゃそうでもここでは違う答えが真実。
僕はまだまだそこらへんが未熟。
引き戻し助けてくれる師匠や仲間に本当に感謝です。

ヒロさん、チャックン、ユキちゃん
体力の限界まで挑戦した10日間お疲れ様でした。
ありがとうございました。
僕はまた大切な事を忘れていました。

「僕はだれ、いまどこにいるのか?」

僕はいま竹中家にいるんです。
取り戻しに行きます。

その事に気づかせてくれたヒロさん、チャックン,ユキちゃんに心から感謝です。


ただ一生懸命は意味がない。
そのベクトルの先を常に意識していなくては意味がない。



I had forgotten the most important thing, again.

"Who am I, where am I ?"

Now I'm in space created by Takenaka-family.
I go back to the basics.

I wish to express my hertfelt thanks to Hiro-san, Chakkun and Yuki-chan who made me notice it.


Everyone can go all out simply.
At any time, must clarify why try as hard as I can.
シンクロニシティ

共時性か...

近々
あるかもね。

なんだか
楽しみな
夜の
ドライブ
でした。

かおりちゃん
ありがとう



Synchronicity...

It will be coming soon.

I think that time to be the enjoyment.
When beeing drive tonight with Kaori-chan, I thought so.

Thanks a bunch.
http://moneyzine.jp/article/detail/123491

日本人ではない第三者であり、第一線のストラテジストがこのように言っている事が、興味深いです。細かい数字の意味は分かりませんが、彼が言っているということはかなり的を得ているのでしょう。
窓の外の雪を見ていると

自分の重みでゆっくりと落ちてくるいねむりさん
ふわふわ浮かんで行くのんびりや
窓のところで横から顔をのぞかせてくるいたずらっこ
目の前でくるくるっと回ってみせるバレリーナ
横からの風にのってどこかへ向かう風来坊

だから雪を見るのは好きです

この季節も好きなんですよね

僕が産まれた日の雪の妖精たちはどんな子らだったんだろう
そんなことを想っています


母さん~blogのタイトル決まっただろうか

近日公開予定です
皆様お楽しみに!
母さんとのふたり暮らしが
始まりました。

昨日は一山終えたので
カレーの匂いにつられて
早々と帰宅しました。

久しぶりに過ごす
ゆったりとした時間を
母さんとふたり牛乳で楽しみました。


故じいちゃんが残してくれた
たくさんの出逢いのプレゼントは
まだまだ続いています。

母さんは
ひと月に及ぶじいちゃんの介護と寝不足の疲れを癒しています。
一昨日佐世保から来たしのぶちゃんと
温泉にいったり、マッサージをしたり。

お風呂につかりながら
母さんの電話の話し声を聞いていました。
最近の出来事や武志さんの嬉しい報告から
僕がカレーにつられて帰ってきたことまで...
楽しそうに会話する母さんの声を聞きながら
幸せだなぁって湯船につかっていました。


そんな母さんは最近PCが使えるようになりました。
Skypeでテレビ電話したり、Internetでニュース見たり...
ぎこちないダブルクリック...
母さんそんなに強くクリック、クリックしなくていんだよ。

お風呂あがり、僕がPCで作業していました。
とそこへ母さんが「blogとmixiはどう違うんだい?」と聞いてきました。
一瞬、ん?と思って、しれっと流しましたけど

母さん

もしかして...興味持ってる?

以前からじいちゃんが死んだら
blogをやるって言ってたけど
もしかして...まぢ??


「さっちゃんblog」
始まるかもしれません。

皆さんのマイミクに登場する日も
近いかもしれません。
居候先のじいちゃんをお見送りしました。

亡くなる前日の朝、
天井からツツ...と目の前に下りてきた一匹の蜘蛛が
じいちゃんを道案内してくれたのでしょうか。
眈々と深い呼吸を繰り返し
何も聞こえずひとりでただ一点へと生き続ける姿は
素晴らしく恰好良かったです。

深夜そこに横たわるじいちゃんは、
じいちゃんであってじいちゃんではありませんでした。
明らかに決定的な何かが足りない。
感覚的に息をしていない、体温が冷たいといったものではなく、
決定的に何かが抜け出てしまっている。

明朝、夜が薄らと明け始めた頃、
線香の香りが残る部屋で横たわったじいちゃんの抜け殻を見つめていました。
それは蝶が抜け出た後の蛹のようでした。
死と受け入れた瞬間、強烈にこみ上げてくる感情がありました。
今すぐにでも生を抱きしめたいと思いました。

殻を抜け出た蝶はどこへ飛んでいったのでしょう。
仏教のいう魂の世界でしょうか。
もしこの物質世界の殻からはなれた蝶が魂の世界でもう一度生まれ、生き、死に、魂という殻すらもはなれ、次の世界でまた同じように生まれ、生き、死に...を繰り返し続けるものだとしたら、この先、永遠に続く別の世界のどこかでまた生き逢うのでしょう。
そうやって新しい世界は無限に続き、僕らはひとつの生を生き続けるのでしょうか。

純粋なまでの真直ぐな死は
ひとつの生をとても愛おしく感じさせてくれました。


ひとつの死はたくさんの種をおとしてくれました。
こんなにも心の豊かさに満ち溢れたお見送りの日を過ごせたのは
最後まで生き続けたじいちゃんと最後までいつ何時も添い続けた母さん、
ふたりの真剣勝負のおかげです。

心よりご冥福をお祈り致します。
そして母さん、五年間本当にご苦労様でした。


遠くの方で母さんの寝息が聞こえる気がします...
自由なひとほどたくさんの不自由と言われているものとともに生きてます

自由社会、自由経済、自由取引
それらは自由の姿をした自分勝手、やりたい放題、我がまま
そうゆう類いのもの

現代じゃ自由の意味は完全に変わってしまってる
第何期かの自由が横行している

自由 (free [freedom])という言葉の歴史はいつからなんだろう
奴隷制の根源が始まってからなのか、
搾取するひと、搾取されるひとという関係が生まれてからなのか
そんなことを想像しています。
そこに鍵がある気がするんです。

より自由になりたい...
ではなく、
より自由にさせてもらうように、する
ぼく自身、単体は自由でも不自由でもない
周りのたくさんの存在がぼくを自由にさせてくれる
周りがあって主体であるぼくがいる、だからそこに自由が生まれる
そうしてもらえるように、そうなるようにする


自由の重心がどこなのか、その裏側を見せてくれる作品
「この自由な世界で」http://www.kono-jiyu.com/

昨日自分へのプレゼントに観てきました。

恵庭駅の駐車場で暖気中の車内で
石川直樹「最後の冒険家」第五章「熱気球太平洋横断」
を丁度読み終えた1月9日0:00。

マイナス温度の車内で興奮で息が白く弾んでいました。
友だちからのmailで自分が26歳になったのだと気づきました。
とても良い精神状態で迎えられた生まれ変わりの瞬間でした。


外へ外へではなく、内へ内へ...
心の中に宇宙に繋がる光の入り口がある気がするんです。
だから内へ内へ...

心の旅を続けましょう

皆様本年も宜しくお願い致します


伊藤昌稚
2009年01月06日02:34

今朝7時半頃恵庭駅で人身事故があった。
僕はちょうど駐車場から駅に向かってホームの横を歩いている時で、
特急列車が警笛を鳴らして停車したのでもしや?と思いいつも通りホームに下りるとやはり人身事故。
どうやら男性が自ら線路におりたそう。
たちまち駅員、レスキュー、救急隊、警察が来て現場検証が始まった。
ホームでは会社員や部活に向かう学生が携帯で遅れる旨を報告している。
仕事始めで遅れてはいけないと思ったのかタクシーで向かおうとする人もいる。
僕もしばらくホームで待っていた。
百数十メートル向こうで人が死んだ。それは事実。
でもテキパキと後処理する人、報告の電話する人、新年の挨拶かます人、タクシー探す人、缶コーヒー飲んでる人、本読んでる人、清掃するおばちゃん、上から現場検証眺めてる人...
事実はドコイッタ?
確実に数百人の目の前で人が死んでいる。
現実はドコイッタ??
まったく僕自身含めその感触が感じられない。
夜になって帰りの電車を降りて今朝のホームを眺めてみる。
本当にここで人が死んだんだろうか...
今朝その場にいたはずなのにまったく現実感がない。
確実に何時間前かにココで人が死んでいる。

ほとんど何も感じなかった。

よっぽど、地球の裏で二千年前の血と金で殺されてるパレスチナの人々の死を現実に感じてしまう。よっぽど、知人のご家族の逝去を身近に感じてしまう。
僕はここで自殺を咎めるつもりはない。
朝は少し迷惑は被ったけど身投についてどうこう言うつもりも無い。

死にたくて死ぬひと
死にたくないのに殺されるひと
生を全うして亡くなるひと
今なお死と向き合い生きるひと
その両極のあいだで生きるひと



カマキリの雌は交尾の最中に雄の頭を切り落として食べてしまう。そのほうが雄の生殖機能が高まるかららしい。その後雄の身体ごと食べて栄養にしてしまう。
イカの雄は雌の身体に歯で傷を付け体内に精巣をぶち込んで生殖する事が分かっている。
雄が身体ごと精巣と化し雌に取り込まれる種も有る。



この国は一体どうなる
この世界は一体どうなる
ひとは一体どうなる