灰田勝彦 「鈴懸の径」物語 | CD&コンサート制作日誌

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音楽プロデューサーとしての毎日を書きとめます。

「鈴懸の径」 物語

 

 

灰田勝彦の出身大学、立教のキャンパスに、

この歌の碑が残されている。

古きよき時代のキャンパスへの郷愁かきたてるこの曲は、

軍事教練、勤労奉仕…と青春を謳歌することもできず

戦争へ駆り立てられた若者の愛唱歌でもあり、鎮魂歌でもある。

 

モアナ・グリー・クラブ時代というから昭和10年代の始め頃であろう、

灰田晴彦は自宅のある中野から池袋の弟の大学まで自転車で向かった。大学内をさ迷ううち、夕暮れとなり自転車を乗り捨てた場所がわからず中野まで線路沿いにとぼとぼ歩いて帰ったという。

その時ふと浮かんだメロディーに半年後大幅に手を入れて、

「弟の大学のワルツ」と名づけた。

モアナ・グリー・クラブでこの曲を演奏しようということになり、メンバーの広瀬文雄が詞をつけた。タイトルは「マロニエの径」。

 

 涙流しき マロニエの径

 白き花散る たそがれの径

 わびしきこの身 憂いにくれて

 今もたたずむ マロニエの径

 

モアナの人気ナンバーだったこのワルツ、灰田晴彦は昭和17年に、この曲を「録音しよう」と上山敬三ディレクターに相談した。

ところが、年の始めには「モアナ・グリー・クラブ」を「灰田晴彦と南の楽団」と改称せざるをえなかったご時勢…失恋の歌詞が検閲に通るはずがないということで、勝彦を交え3人で協議した結果、佐伯孝夫に改変を依頼した。

カレッジ・ライフの想い出というテーマにして、題名も「鈴懸の径」と改めて録音された。

 

戦後、鈴木章治のクラリネットでリバイバル・ヒットし、スタンダードになっていることはよく知られているが、昭和58年、灰田晴彦が弟への追悼の思いを込めて、英語歌詞を書いたことは知られていない。2ヶ月間、半蔵門病院のベッドの上で考え、完成したその歌詞を紹介しよう。

 

The campus, now famed to see

"Suzukake no michi"

Lots of couple here and there.

Linger with old memories.

It's fruit, we call "Kosuzu"

And chiming sweet melody,

Recalling days at school

"Suzukake no michi"

 

 

なお、今までビクターから復刻された当曲は戦後の再録音のものだった。今回戦後初めて、70年前のオリジナル録音が、保利 透氏(SPレコード、戦前文化研究家)の尽力で発掘された。