ジャニー氏と服部先生の縁 | CD&コンサート制作日誌

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音楽プロデューサーとしての毎日を書きとめます。

今から3年前に 私が制作した
「服部良一 僕の音楽人生」シリーズ(3タイトル)


発売当初は、銀座山野楽器さんでも 
コーナー展開してくださり、
大変評判も良かった。

読売新聞で1ページにわたって服部先生の足跡を特集、
そのなかに、ジャニー喜多川氏への貴重なインタビューも掲載された。

ジャニー氏は戦中に和歌山大空襲に遭遇、
戦後、アメリカに戻った。

実家はカリフォルニアで、寺院関係の仕事だったらしく、
昭和25年、日本からきた芸能人が劇場がわりに その寺院を会場として
興行を開いた。
美空ひばり、川田晴久一行。
服部良一、笠置シヅ子 一行。
古賀政男、二葉あき子、市丸、霧島昇一行
渡辺はま子、小唄勝太郎一行 ほか。。
すべて1年の間に渡米、興行を打っている。






服部良一と笠置が、ジャニーさんの寺院にやってきた日、
とても蒸し暑い日だったそうで、ジャニー氏の姉、メリー氏が
「お二人にアイスキャンデーを買ってらっしゃい」とジャニー氏に買いに行かせたところ、
「あんたよう気がつくなあ」と大変ほめられたそうだ。
この姉弟は、服部先生滞在中、なにくれとなく世話をした縁で
のちに姉弟が来日したときに、服部先生のお宅にお世話になったこともあったらしい。

ジャニーズワールドなどの舞台で「胸の振り子」「青い山脈」などが
歌い継がれていたのには、こういう物語があったからであろう。

タッキーこと滝沢秀明さんが「滝沢革命」で弾いていたピアノ、
それは実は 服部先生の遺品で、今もなお、大切にジャニーズ事務所に保管されている。
日本のポップスの先駆者、服部良一の魂が、今なおこうして生きていることは
素晴らしい。