「服部良一 僕の音楽人生」シリーズ(3タイトル)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150525/16/masatango02/dc/35/j/t02200165_0800060013317631173.jpg?caw=800)
発売当初は、銀座山野楽器さんでも
コーナー展開してくださり、
大変評判も良かった。
読売新聞で1ページにわたって服部先生の足跡を特集、
そのなかに、ジャニー喜多川氏への貴重なインタビューも掲載された。
ジャニー氏は戦中に和歌山大空襲に遭遇、
戦後、アメリカに戻った。
実家はカリフォルニアで、寺院関係の仕事だったらしく、
昭和25年、日本からきた芸能人が劇場がわりに その寺院を会場として
興行を開いた。
美空ひばり、川田晴久一行。
服部良一、笠置シヅ子 一行。
古賀政男、二葉あき子、市丸、霧島昇一行
渡辺はま子、小唄勝太郎一行 ほか。。
すべて1年の間に渡米、興行を打っている。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150525/16/masatango02/8c/20/j/t02200158_0800057613317640220.jpg?caw=800)
服部良一と笠置が、ジャニーさんの寺院にやってきた日、
とても蒸し暑い日だったそうで、ジャニー氏の姉、メリー氏が
「お二人にアイスキャンデーを買ってらっしゃい」とジャニー氏に買いに行かせたところ、
「あんたよう気がつくなあ」と大変ほめられたそうだ。
この姉弟は、服部先生滞在中、なにくれとなく世話をした縁で
のちに姉弟が来日したときに、服部先生のお宅にお世話になったこともあったらしい。
ジャニーズワールドなどの舞台で「胸の振り子」「青い山脈」などが
歌い継がれていたのには、こういう物語があったからであろう。
タッキーこと滝沢秀明さんが「滝沢革命」で弾いていたピアノ、
それは実は 服部先生の遺品で、今もなお、大切にジャニーズ事務所に保管されている。
日本のポップスの先駆者、服部良一の魂が、今なおこうして生きていることは
素晴らしい。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150525/16/masatango02/11/ac/j/t02200312_0800113313317646544.jpg?caw=800)