偽作でも、箔がつくと全国区になる「福澤心訓」 | 社労士のたまご 

偽作でも、箔がつくと全国区になる「福澤心訓」

お立ち寄りいただき、ありがとうございます。

一、世の中で一番楽しく立派な事は一生涯を貫く仕事を持つ事です。
一、世の中で一番みじめな事は人間として教養のない事です。
一、世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です。
一、世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事です。
一、世の中で一番尊い事は人の為に奉仕して決して恩に着せない事です。
一、世の中で一番美しい事はすべてのものに愛情をもつ事です。
一、世の中で一番悲しい事はうそをつく事です。


これは、一般的に福沢諭吉の「心訓」と言われています。

実に平易な文章で、含蓄に富んでいます。他の人が言っていたとしても、心に刻んで自らの戒めにしなければと思います。福沢諭吉が言ったとなると、なおさらです。(私は塾生ではありませんので、先生とはお呼びしませんが)

実はこれ、福沢諭吉の言葉ではなかったようです。

慶応義塾のHP で、はっきりと明言しています。最後のくだりが、なかなか面白いです。

二束三文のものでも、箔がつくと価値のあるものになる典型なのでしょうね。この言葉が、二束三文とは申しませんが。



久しぶりに落語の話で恐縮ですが、私のお気に入りの一つに、桂米朝の「はてなの茶碗」という噺があります。大筋は、こんな感じです。

京都は清水の音羽の滝のほとり。大阪出身の油屋の男が茶屋で休憩していると、京では有名な茶道具屋の金兵衛、通称「茶金」が、茶屋の茶碗のひとつをこねくり回しながら、しきりに「はてな?」と首をかしげていた。

茶金が帰った後、あの茶金が注目するとはさぞかし値打ちのあるものに違いないと、この茶碗を茶店の主人からすったもんだの末二両で買い上げた油屋。それを持ってさっそく茶金の店へ。番頭に「五百両、いや千両の値打ちがある!」と息巻くも、どう見てもただの茶碗、「うちでは取り扱えない」と埒が明かない。

無理やり茶金を呼び出して、事の次第を聞いてみると、ヒビも割れもないのに、どこからともなく水が漏れるので、「はてな」と首をかしげていただけであった。意気消沈し、自らのヤクザな身の上を茶金に語る油屋。しかしそこは通人の茶金。「二両で自分の名前を買ってもらったようなもの」と、その茶碗を油屋から(さらに一両付け加えた)三両で購入することにし、この金を持って親元に帰って孝行するように諭す。

この話が評判となり、関白・鷹司公によって「清水の音羽の滝の 音してや 茶碗もひびに もりの下露」という歌が詠まれる。さらには時の帝によって「はてな」の箱書きが加わる。このように立派な肩書きが付いた茶碗の噂が鴻池善右衛門の耳に入り、とうとう千両で売れてしまった。茶金は油屋を呼び出し、千両の半分の五百両を渡す。大喜びの油屋。

後日、再び茶金の元を訪れ、「十万八千両の大儲け!」と叫ぶ油屋。茶金が問い質すと、

「今度は水瓶の漏るのを持って来ました。」



物の値打ちはどうやって決まるのかよくわかりませんが、この偽作の作者も、福沢諭吉という箔をつけて、千両の値打ちに仕上げたのですね。

因みに、額装されたものが、千両ではなく、4,000円程度で販売されています。福沢諭吉1枚でお釣りがきます。


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