色鉛筆・・・巌さんに完全無罪判決を!もう冤罪被害を無くせ
【ワーカーズ九月一日号より転載】

 


事件から57年後の昨年10月、ようやく始められた再審公判は今年5月に結審し、9月26日に判決が出される。この法廷で一番無実を訴えたかった巌さんは、今はそれがかなわず、5月の結審では代わりに姉のひで子さんが巌の想いを法廷で訴えたいと、かつての手紙を引用し意見陳述をした。

 「ひとたび狙われて、投獄されれば、肉体深く食い込む虐待、あの虚偽虚構の覆われた部屋、あの果てしなく底知れぬ目眩(めまい)、最早正義はない、立ち上がって目眩む。火花、壁に飛び散る赤い血、昔の悲鳴のように、びくりとし、立ち上がっても投獄されれば最早帰れない。十三夜のお月さんが、南東に上がった七時の獄である。

 息子よ、おまえはまだ小さい、分かってくれるか、チャンの気持ちを、勿論分かりはしないだろう、分からないと知りつつ、声の限りに叫びたい衝動に駆られてならない。そして胸いっぱいになった真の怒りをぶちまけたい。チャンが、悪い警察官に狙われて、逮捕された昭和41年8月18日、その時刻は夜明けであった。お前は、お婆さんに見守られて眠っていたはずだ。

 今朝方、母さんの夢を見ました。元気でした。夢のように元気でおられたら嬉しいですが、お母さん、遠からず真実を立証して帰りますからね」と手紙を読み上げた後、ひで子さんは「弟巌を人間らしく過ごさせて下さいますよう、お願い申し上げます。」と訴えた。

 一家4人殺害放火事件は、58年前の1966年6月30日に発生、巌さんは8月18日に逮捕された。事件直後の7月5日の毎日・読売新聞には警察の情報そのままに、「従業員Hを取り調べ」「重要参考人・住み込み従業員、血染めの作業衣など押収」等報じられるも、その後有力な手がかりは無く捜査は難航。早期の凶悪犯人の逮捕を待ち望む周囲の声も多くなる中、警察は逮捕に踏み切った。確証は無く、巌さんが元ボクサーで、よそ者であるという偏見と差別も働いた。警察の「必ず自白させる」という強い方針のもと、拷問・虐待を用いて20日目、9月6日にその目的を達成した。

 巌さんは裁判では一貫して無実を主張、以後膨大な量の手紙や意見書を書き潔白を訴え続けた。司法が公正であることを望んでいた。しかし1980年死刑が確定・・・。その絶望と恐怖は、誰も想像することが出来ない。やがて精神をむしばみ、釈放され10年がたった今もほとんど元に戻っていない。

 47年7ヶ月間の投獄は、30歳からの人生、子どもの成長を見守る喜び、兄姉・両親との穏やかな日々、彼らとの永別の機会、友との語らい、仕事、趣味など、あらゆる人間らしい生活を奪い、処刑の恐怖と向き合うことを強いて、魂を破壊してしまった。

 この事件は、差別と偏見にもとづいて逮捕、そして拷問・虐待をして自白させ、あげくに捜査機関、検察は証拠の捏造、証拠隠し、嘘の証言等ありとあらゆる不正を総動員して無実の人間を死刑囚に仕立て上げた、許しがたい犯罪行為が行われた。それにもかかわらず、今に至るも検察はまだ誤りを認めず、死刑を求刑している。

 巌さんたち冤罪被害者に対して犯した過ちは、なぜ繰り返されてきたのか、繰り返えさないために今後司法はどう改めるべきか、今こそそれを追求すべき時だ。巌さんに無罪判決が出されれば、死刑囚の再審(裁判のやり直し)無罪判決は、戦後5例目となる。

 1977年(昭和52年)、巌さんは上告趣意書に「首尾一貫した国民の監視がなければ司法の正義は滅びていく」と繰り返し訴えている。この真実の訴えに私たちは答えてゆきたい。(澄)