色鉛筆・・・女川原発再稼働反対~未来の子どもたちのためにも~
【ワーカーズ八月一日号】
七月七日、女川原発再稼働を考える女川現地講演集会に参加しました。
ジャーナリスト青木美希さんの「原発ゼロで生きる方法」では、女川原発、福島原発で働かれている方から三・一一東日本大震災のときの様子を取材したビデオが放映されました。その方のお話は、私が知らなかった恐ろしい事実でした。東日本大震災の時は、女川原発で働いていて、道路に亀裂が入り寸断され避難する場所がなくなり、女川原発は、内部電源が水びたしで使用できず、外部電源の一系統だけが生き残ったため、福島原発のような爆発事故が起こらなかったそうです。たまたま運よく爆発しなかっただけなのです。
女川町では、二年ほど前、小泉進次郎大臣も参加した女川原発の事故を想定した避難訓練をしました。一次避難では室内では、養生テープで窓の隙間を塞ぐ、ヨウ素の配付、二次避難では、パスを使用し町民、学生が登米市や利府町に避難をするというものでした。
しかし、東日本大震災の時に女川原発で働いていた方の話では、道路に亀裂が入り寸断され、そこから動けなかったと証言されています。また、警報級の大雨が降ると幹線道路に水が溜まり通れなくなることもよくあります。仙台までは、約六十キロ離れていますが、女川原発が爆発したら仙台まで簡単に放射性物質を含む気体は届くというデーターもあります。正直、避難訓練どおりに避難できるのか、また宮城県内に避難しても被曝するのではないかと不安に思います。
また、能登半島地震による志賀原発に大変な危機が迫っていたことが、後からの点検でわかったお話を講演会で聞き、びっくりしました。
珠洲原発が建設される予定地は能登半島地震の影響で土地が隆起し、地域の反対運動もあり、見送られました。
原発を続けることは、事故が起きる可能性を抱え続けることを意味し、福島第一原発事故で得た教訓が全く生かされず、また女川原発は、最初は二〇二四年五月に再稼働が告知されました。それから延期になり九月、また延期になり十一月の予定です。県民調査によると半数以上が再稼働を反対しています。その中でも、女川町や近隣の石巻市に住んでいる友人は、原発は本当の気持ちは反対だけれど、毎月東北電力から親にお金が支給されていて、反対できない。漁師だけで食べていけなくて、原発で働いている人もたくさんいるなど、東北電力は莫大なお金を地元に落として、地域住民の賛同の数を増やしています。
講演会の中で、原発に頼らなくても、太陽光発電などで、電気が補充されている事例も紹介されました。
実際に私も東北電力ではなく、太陽光発電を利用しているアイコープと契約を結んで、電気代は、東北電力の時よりも、安くなりました。
講演会終了後、女川町内をデモしました。集会参加者は五百五十人、デモ参加者は三百五十人、女川町内での原発反対デモは三十年ぶりでした。
女川町は、海鮮やほやが美味しくて、温泉もあって、素敵な町です。こども達に美しい海を残していきたいです。そのためにも、女川原発再稼働反対を訴え続けていきます。(宮城 弥生)