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『人類の起源:古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」』篠田謙一著 中公新書 本体価格九百六十円

 

人類の起源古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」



〇 これまで人類の進化の研究は化石人類学者を中心として進められてきたが、ここ十年前から古人骨に残されたDNAを解読し、ゲノム(遺伝情報)を手がかりに人類の足跡を探る古代DNA研究が飛躍的に発展した。

そのため、化石等だけでは知ることができなかったホモ・サピエンス(現生人類)の誕生の状況やアフリカから世界に広がった人類集団の動向について、驚くべき事実が明らかになった。本書はその研究の全体像の解説である 〇

古代DNA研究の飛躍的発展

 一八五九年、ダーウィンは『種の起源』を発表し、現存する生物種は適者生存等、種が生存する諸条件の下で進化して現在に至ったことを明らかにした。まさに革命的考え方である。当然にも、では人間の由来とはどのようなものかを問うものとなっていく。

 だがキリスト教との絡みでダーウィンは実に慎重にふるまった。彼が『人間の由来と性淘汰』を発表したのは実に十二年後の事。それ以来、人間の進化の追求が開始されたのである。

 これ以降、多くの化石人類学者が人類進化の証拠を求め世界中の地層を探索した。そして百五十年間の努力の結果、現在までに人類進化の大道筋が提示された。それによると、約七百万年にはチンパンジーの祖先と人類の祖先が分かれ、二百年前には完全な直立二足歩行や脳容積の急激な拡大を特徴とするホモ属の登場が明らかにされたのである。

 ところが今から十年前、古人骨に残されたDNAを解読し、ゲノム(遺伝情報)を手がかりに人類の足跡を探る古代DNA研究が飛躍的に発展した。そのため、化石等だけでは知ることができなかったホモ・サピエンス(現生人類)の誕生の状況やアフリカから世界に広がった人類集団の動向について、驚くべき事実が明らかになってきたのである。

 本書はそれらの研究の全体像の解説であり、著者は、現国立科学博物館館長である。

新しくわかった事実

 これまで人類進化の研究の支配的考え方では、原人(ホモ・エレクトス)→旧人(ホモ・ハイデルベルゲンシスとネアンデルタール人)→新人(ホモ・サピエンス)と単系的かつ段階的に発展してきた、そして二百万年前に原人の段階で世界各地に広がった人類がそれぞれの地域で独自に進化し、各地に住むホモ・サピエンスとなっていった、とされていた。

 しかし古代DNA研究によって、以下の事実が新たに判明したのである。

 アフリカで二十万年前に誕生したホモ・サピエンスは六万年ほど前に「出アフリカ」を成し遂げ、旧大陸に先住していたネアンデルタール人やデニソワ人等の、ホモ・サピエンス以外の人類と交雑しながらも彼らを駆逐し(ホモ・サピエンスは彼らと比較し生殖や言語能力に関する遺伝子が優れていたと想像される)、世界に広がったのであった。

 現在、世界にはホモ・サピエンスという一属一種の人類だけが生存しているのだが、数万年前まではネアンデルタール人、デニソワ人という異なる人類が生存しており、地球上でホモ・サピエンスは彼らとまさに混交しつつ、共存し生活していたのである。

 ホモ・サピエンスはネアンデルタール人のDNAを持っていた。まさに衝撃ではないか。

アフリカこそ人類誕生の地

 アフリカ(特にサハラ以南のアフリカ)は人類誕生の地であり、人類史の中でとりわけ重要な意味を持っている。ホモ・サピエンスは他のどの地域よりも長くアフリカ大陸で生活しているから、アフリカ人同士は、他の大陸の人々よりも大きな遺伝的変異を持っている。人間の持つ遺伝的な多様性の内、実に八十五%まではアフリカ人が持っていると推定される。

 またアフリカには世界中に存在する言語の三分の一に当たる、約二千の多様な言語が存在している。すなわちそれだけ数多くの多様な人間集団が暮らしていたのである。

 約四千年前にアフリカ西部のカメルーンやナイジェリア地域で農耕が始まり、それによって人口が飛躍的に増加。そこからバンツー系農耕民の移動が始まり、アフリカ大陸各地に広がっていった。

 普通の教科書では、「アフリカでの人類の誕生」の次に世界の「四大文明」の記述と移っていくが、当然のことながらアフリカ大陸においても農耕や牧畜が盛んになり、アフリカ独自の文化が発展していったのである。

人類は六万年前に「出アフリカ」を成し遂げた

 六万年前に「出アフリカ」を成し遂げた人類は、今のイスラエル方面を通ってユーラシア大陸へ、ヨーロッパやアジアへと広がり、アメリカ大陸に広がっていった。

 アメリカでは、古代DNA研究が始まるまでは、「現代のアメリカ先住民が持つヨーロッパ人と共通の遺伝的要素は、コロンブスの新大陸発見以降の混血によってもたらされた」と考えられていたのだが、古代DNA研究の結果からは事実はそのようではなかったのである。<br> 二〇一四年、ロシア・バイカル湖近辺の遺跡から出土した古人骨のゲノム解析から、彼らのゲノムが、現代の新大陸の先住民にも共有されていることがわかった。

 すなわち出アフリカの後にユーラシア大陸に展開した集団は、三万九千年ほど前に東西に向かう集団に分かれ、その内東ユーラシアに向けて展開した集団から、南回りで東アジアに向かう集団と、北回りでシベリアに向かう集団が生まれた。

 その結果として、彼らのゲノムが現在のシベリアの先住民やアメリカの先住民に受け継がれていたということなのである。

日本人の「二重構造モデル」は否定された

 日本人については、従来「二重構造モデル」という、先に日本列島に到着していた大陸由来の均一な縄文人がおり、そこに稲作文化を持った渡来系弥生人が北部九州にやってきて混血が進んだとの見解があった。

 しかし古代DNA解析によると、縄文人は列島内において均一化されてはおらず各地域によって多様性があった。

 著者は、列島の日本人について「主に朝鮮半島に起源を持つ集団が渡来することによって、日本列島の在地の集団を飲み込んで成立した、と考える方が事実を正確に表している」と述べているのである。

 このことの詳細に関しては、関心がある読者もいるであろうが紙面の関係で詳しく展開できない。ぜひ本書を熟読していただきたいと私は考える。

「人種」概念は、恣意的なもので科学的なものではない

 著者は、以上の遺伝学研究の成果から「世界中に展開したホモ・サピエンスは、実際には生物学的に一つの種であり、集団による違いは認められるものの、全体としては連続しており、区分することができない」「すべての文明は同じ起源から生まれたものであり、文明の姿の違いは、環境の違いや歴史的な経緯、そして人々の選択の結果である」という点を強調している。<br> そしてこの指摘こそは実に重要で的確な指摘であると私は考える。

 そもそも「人種」概念自体、欧米列強がアジアやアフリカ、ラテンアメリカの異なる人間集団に遭遇した時、その肌の色等、人間の持つ生物学的側面に注目して作り出した恣意的なもので、科学的なものでもなんでもない。私はこのことを声を大にして訴えたい。

 欧米の為政者が行ってきた植民地主義は、黒人等の有色人種をサル等に例え「人間よりも劣った獣」だとし、良心の呵責なく侵略と虐殺、富の略奪をくり返してきたのである。

 その意味においてキリスト教が果たした役割は、歴史的に最悪といわねばならない。

アメリカ建国はイスラエル建国と同じ

 二〇二〇年実施のアメリカ国勢調査では、先住民のインディアン(ネイティヴ・アメリカン)は、アメリカ総人口の約二%の九百万人、政府承認の部族は五百七十四もあり、各部族はその居住地で自治が認められている。勿論居住地を離れた暮らす人々も数多い。

 実際、アメリカではインディアンを赤人として虐殺しつつ、強制移住によって彼らを厳重に居留地に封じ込めたのだ。また公民権運動により法律では平等をうたいつつも隠然とした黒人差別は今なお続いている。

 さらに二十一世紀に入って以降も、公立学校で進化論を教えることを禁止する運動がある。アメリカの熱狂的な宗教的原理主義者は、今でも「人間は神によって創造された」と公然と主張する。まさに先住民のインディアンを虐殺・駆逐し黒人奴隷を包含したアメリカ建国は、歴史に深く刻印されたアメリカの原罪である。

 こうした先住民の血にまみれて建国したアメリカだからこそ、パレスチナの地に無理やり建国したイスラエルに理解を示すのであり、イスラエルのパレスチナ人虐殺を良心の呵責なく平気で支持するのである。確かに反対する勢力はあるものの、その声は弱い。

 またアメリカはナチスに影響を与えた、民族に関する優生学の隆盛の国でもあった。

 イスラエルのユダヤ教の選民思想は生き続け、パレスチナ人の虐殺を正当化している。

 人類の起源の謎を解き明かす、最新研究の本としてぜひお薦めしたい。(直木)