沖縄・糸数アブチラガマの“隠された真実”

- アリの一言  (goo.ne.jp)

 

     

 

 13日から沖縄に来ています。14日には南城市の糸数アブチラガマに初めて行きました。平和ガイドさんの案内(見学に必須)で、約1時間、懐中電灯を片手に真っ暗な洞窟を歩きました(写真1が入口、2が出口。内部は撮影禁止)。

 

 同ガマは、全長270㍍の自然洞窟(ガマ)。沖縄戦時、住民の避難指定場所でしたが、陸軍第32軍が南下するにつれ、南風原陸軍病院の分室となりました。1945年5月1日からは軍医や看護師、ひめゆり学徒隊が配属され、約600人の負傷兵が運び込まれました。

 

 見学のために設置された手すりにつかまっても滑り落ちそうな急斜面。手当もされず食料、水も与えられず、ただ死を待つために多くの重傷兵が放置された大きなくぼみ。8月22日の投降時に生き残っていたのはわずか13人だったといいます。3つの小さな空気孔から入ってくるわずかな光、汚物まみれの地下水、そして住民の助けでかろうじて救われた命です。

 

 軍隊は住民を守らないどころか、監視して容赦なく殺害する(糸数壕でも)、そんな沖縄戦の実相を学ぶには格好の遺跡です。多くの修学旅行生が訪れていましたが、ぜひ小中高生の間に行ってほしい場所です。

 

 ですが、ここを訪れたのは、壕の中を体験するのが第1の目的ではありませんでした(他の壕には入ったことがあります)。

 

<日章旗や銃剣展示 ガイドら「戦争賛美」指摘 南城・アブチラガマ案内センター>

 この見出しの記事(1月28日付琉球新報)が気になったからです。

 

 5年ほど前から、案内センター入口右の展示室に、「日章旗10枚や日本兵の写真、銃剣などが展示され、約300点の展示の多くが日本兵の所持品」となったという記事です。

 

 広くはない案内センターで、壕の見学から帰ってきた人の目に飛び込んでくるのはこの「日の丸」の群れです(写真3)。見学した人が「お国のために死んだ兵隊はかわいそう」という感想を持っても不思議ではありません。展示品の中には、兵士のたばこもありましたが、それにも「日の丸」が印刷されていました(写真4)。

 

 さらに、案内センターの手前、壕の真上にあたる場所には、2016年3月、「旧日本海軍93式発射魚雷」と「旧日本軍89式15センチカノン砲」が設置されました(写真5)。

 

 2つの旧日本軍の兵器と展示室を埋める「日の丸」。沖縄戦の貴重な遺跡である糸数アブチラガマの外は、まるで靖国神社の遊就館の様相を呈しています。これが「平和学習」で多くの修学旅行生が訪れる沖縄の1つの断面なのです。

 

 ところで、同ガマの公式サイトには書かれていない、そしてこれまで琉球新報や沖縄タイムスでも読んだことがない(あくまでも私がですが)話を、ガイドさんから聞きました。

 

 同ガマの中に5~6人の朝鮮人「慰安婦」とほぼ同数の琉球人「慰安婦」がいた、というのです。負傷兵の手当のためではなく、文字通り「慰安婦」として。事実なら重大な問題で、ぜひ検証される必要があります。

 

「ほかにも分かっていないこと、表に出ていないことがたくさんあります」

 

 沈鬱な表情でそう話したガイドさんの言葉が耳に残っています。