阿部 治正

 

5月7日は、ベトナムの解放勢力がフランス軍に大打撃を与えたデェンビェンフーの闘いが終わった日だ。ベトナムでは、この日を祝って盛大な催しが行われた。私にとっては直接の記憶がない1953年から1954年にかけてのベトミンのデェンビェンフーの戦いだ。だが、1968年のベトコンによるテト攻勢は鮮明な記憶がある。日本のメディアだけでなく、当時聞いていた北京放送からも日本語で刻々と戦況が伝えられていた。

 

このテト攻勢の記憶は、2023年10月7日のパレスチナ解放勢力によるイスラエル軍への奇襲攻撃によって、私の中で再び鮮やかに蘇った。このことは、昨年10月10日の私のFBでも書いた。テト攻勢こそ、ベトナムにおける米国の帝国主義的戦争を敗北に導く大きな転機となった戦いだった。テト攻勢も、今回のパレスチナ解放勢力による10月7日の戦いと同様に、軍事的には解放勢力側の敗北に終わったが、しかしこの戦いが与えた政治的な衝撃は巨大で、米国の侵略戦争、干渉戦争が大義も勝算もない戦いであることを明らかにし、その後の米軍の敗走を歴史的に決定づけた。

 

今まさに、パレスチナの人々が闘い取ろうとしているのも、テト攻勢と同じく恐ろしく苦難に満ちてはいるが、そしてベトナムの民衆よりは紆余曲折を余儀なくされはするだろうが、勝利に向かって進む大きな歴史的一歩なのだと、誰がどう言おうと私は確信をしている。