阿部 治正

 

今朝の『日経』連載小説「登山大名」の話は、何回か前から繋げて説明すると、こうだ。豊後岡藩の第三代の領主である中川久清は、九重の大船山中の鳥居窪で、パードレの息子である野原蛇之助が率いる、逃亡中のキリシタンの一行と対面する。蛇之助も、久清と同じく異人との混血だ。久清は蛇之助らに向かって、「見逃すことはできるが、助けることはできない」「泥をすすっても生き延びよ」と告げる。蛇之助から「徳川に下るのか」と厳しく問われるが、やすやすと恭順する気はない、一戦を交える覚悟で準備を行ってさえいるとは言えない。

 

蛇之助一行と別れた後、彼の娘である「らん」に会うために藩内の朝地の里をめざす。そして、とうとう「らん」に会うことに成功する。しかし、そのシチュエーションは、1年前の鳥屋山中での出来事と同じく、またもや「らん」が曲者たちの襲撃にあっている最中だった。曲者たちの正体は、幕府の隠密か、公儀が差し向けたキリシタン討伐隊か、久清にもまだ分からない。

「らん」と再会したのは、岡藩内の朝地に建つ源勝寺の中。今は仏教寺の体裁をとっている、かつてのキリシタン修道院だ。ま...

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