東南アジアで進む権威主義の深化と政治の王朝化

 インドネシア大統領選でプラボウォ組が圧勝 

(msn.com)

2024年2月14日に行われたインドネシア大統領選で、早々に勝利宣言をしたプラボウォ・スビアント国防相(左)と副大統領候補のギブラン氏。ギブラン氏はジョコ大統領の息子(写真・2024 Bloomberg Finance LP)

2024年2月14日に行われたインドネシア大統領選で、早々に勝利宣言をしたプラボウォ・スビアント国防相(左)と副大統領候補のギブラン氏。ギブラン氏はジョコ大統領の息子(写真・2024 Bloomberg Finance LP)© 東洋経済オンライン

 

インドネシアの大統領選が投開票された2024年2月14日、3人の候補者のうちプラボウォ・スビアント国防相(72)が早々と勝利宣言をした。出口調査でも6割ほどの得票が見込まれ、決選投票を待たずに現職ジョコ・ウィドド氏の後任に収まることになりそうだ。

これにより東南アジア主要国で2022年から実施されてきた国政選挙が一巡した。4カ国で選挙によって政権交代が実現したものの、俯瞰すれば、地域における権威主義の深化、政治の王朝化が進んだようにみえる。

選挙による政権交代は4カ国のみ

2022年5月、フィリピンの大統領選でボンボン・マルコス氏が当選した。同年11月のマレーシアの総選挙では、最多得票を獲得した希望連盟(PH)のアンワル・イブラヒム元副首相が第10代首相に任命された。旧与党の国民戦線(BN)なども新政権に参加したが、BNが中心となって連立与党を構成していた前政権から事実上の政権交代となった。

2023年5月のタイの総選挙では、事前の予想を覆してリベラル派野党の前進党が第1党に躍り出た。ところが軍に連なる王党派とされる上院や憲法裁判所が前進党のピタ―党首の首相就任を阻み、第2党に転落したタクシン元首相派野党のプアタイが親軍政党と組んで連立政権を樹立した。首相には実業家のセター氏が就任した。

 

 

東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟する10カ国のうち、政権交代の可能性がある選挙を実施しているのは、上記4カ国に限られる。一党独裁のベトナムとラオス、絶対王制が続くブルネイには国政選挙と呼べるものはなく、2021年2月のクーデターで軍事政権となったミャンマーでは選挙実施への展望がみえない。

カンボジアでも2023年7月に総選挙があったが、前回の2018年同様、有力野党を強権的に排除して実施され、1985年以来首相の座にいたフン・セン氏率いる人民党支配にお墨付きを与えただけだった。

域内で圧倒的な豊かさを誇るシンガポールでも2024年中に総選挙が予想され、選挙後にリー・シェンロン首相がローレンス・ウォン副首相にその座を譲る段取りだが、政権交代の可能性は限りなく低い。

1965年の建国以来、与党・人民行動党(PAP)が選挙制度や区割りを自党に有利に作り変えて権力を維持してきた。1969年の国の歴史のうち半世紀以上にわたり、建国の父リー・クアンユー氏と息子のリー・シェンロン氏が首相の座を独占してきた。

そうしたなかでインドネシアは、2004年以来、5年ごとに大統領を直接選挙で選んできた。有権者数は2億人を超え、世界最大の直接選挙と呼ばれている。

直前に行われた南アジアのパキスタンとバングラデシュの総選挙では、野党が排除されたり不参加だったりしており、正統性に疑問がつく。それに比べて混乱の少なかったインドネシアのリーダー選びの成熟ぶりは評価に値する。

インドネシアが民主主義で最高評価

民主主義の指標としてよく引用されるスウェーデンの調査機関Ⅴ-Demは各国の政治体制を、①閉鎖型権威主義、②選挙を伴う権威主義、③選挙による民主主義、④自由民主主義に4分類しているが、インドネシアはASEANのなかで唯一、③に分類されている。つまり地域のなかで最も民主化が定着していると評価されている。

ちなみに②の選挙を伴う権威主義がシンガポール、マレーシア、フィリピン、①の閉鎖型権威主義とされるのはタイ、カンボジア、ベトナム、ラオス、ミャンマーだ。ブルネイは調査対象にすらなっていない。

世界4位の人口を抱えるインドネシアで2024年10月から5年間の舵取りを担うことになるプラボウォ氏は、選挙戦を通じてイメージチェンジに成功した。

 

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1998年までの30年以上にわたり独裁体制を敷いた故スハルト大統領の娘婿であり、軍高官として特殊部隊を率いて東ティモール制圧作戦でシャナナ・グスマン現首相を逮捕したり、自国でも民主活動家を拉致監禁したりしたとして人権弾圧の主犯扱いされ、軍籍も剥奪された過去がある。

その強面、悪役イメージを払拭するのに大きく貢献したのはSNSだ。TikTokで不器用に踊るさまが「かわいい」と若年層に受けた。

17歳から選挙権を得る同国では、約2億人の有権者のうちZ世代に当たる27歳以下が23%。43歳までのミレニアル世代までいれれば34%に達する。これらの世代には独裁時代やその後の政治的混乱の暗い記憶がない。

奏功したSNS戦略にも増して、3度目の挑戦で満願成就したプラボウォ氏最大の勝因は、前2回の選挙で敗れたジョコ大統領の政策を引き継ぐと宣言し、退任間近の現在でも7割の支持率を誇るジョコ氏の人気に乗じたことだ。

ジョコ氏の長男で中部ジャワ州のスラカルタ(ソロ)市長のギブラン氏(36)を副大統領候補に据えてコンビを組んだことが大きかった。これにより現職大統領の立場を超えてジョコ氏がプラボウォ陣営に肩入れしていると有権者の目に映り、実際にジョコ氏はプラボウォ・ギブラン組を支援したといえる。

材木を売って生計をたてる貧困家庭に生まれたジョコ氏は、大工を経て家具会社を立ち上げて成功した後、地元のスラカルタ市長、ジャカルタ特別州知事を経て国家元首に上り詰めた。

インドネシアでは長らく政治エリートや親族、富裕な取り巻き、軍高官らが政界を牛耳ってきたことから、「庶民派」ジョコ氏の登場は新鮮だった。

縁故主義と王朝化が進んでいる

ところが大統領も2期目になると、既成政治家同様のネポティズム(縁故主義)が急速に広がった。2020年の統一地方選にはギブラン氏が地盤のスラカルタ市長に、娘婿が北スマトラ州のメダン市長に出馬し当選した。

次男のカエサン氏はインドネシア連帯党の党首に就任し、次期統一地方選で西ジャワ州のデポック市長選に立候補すると表明している。新たな政治王朝の台頭である。

ギブラン氏の副大統領立候補は、正副大統領の立候補年齢を40歳以上とする選挙法の規定を満たしていなかった。ところが憲法裁判所は2023年10月、現職の地方首長などは40歳未満でも立候補可能との判断を示し、出馬が認められた。憲法裁判所の長官はジョコ氏の義弟だった。

 

インドネシアの大統領選を見ていて、気づくのは先に実施されたASEAN主要国の選挙やその後の体制との類似性だ。

スハルト元大統領の娘婿のプラボウォ氏はジョコ大統領の長男を副大統領候補に選んだが、フィリピンのボンボン・マルコス大統領もやはり20年余にわたり独裁体制を敷いた元大統領を父に持つ。タッグを組んで選挙戦を戦った副大統領は、強権で鳴らしたドゥテルテ前大統領の長女サラ氏だ。

ボンボン氏もTikTokをはじめとするSNSをフルに活用して「独裁者の息子」から「料理を愛する親しみやすい家庭人」へのイメージ転換に成功した。

インドネシアの若年層がスハルト独裁を知らないように、フィリピンではマルコス一家が「ピープルパワー」で追放された1986年の政変を知らない41歳以下の有権者が、前回選挙では56%を占めていた。

両国以上に子どもへの権力移譲が露骨だったのはカンボジアだ。2023年7月23日の総選挙で与党カンボジア人民党が125議席中120議席を得ると、3日後にフン・セン氏は長男のフン・マネット前陸軍司令官に政権を譲ると発表し、8月22日に38年ぶりの首相交代を親子の間で実現させた。

首相だけでなく内務大臣と国防大臣も世襲となり、各省庁をつかさどる大臣30人の過半数を人民党高級幹部の子どもや甥が占める「太子党」内閣が出現した。

世界で最も長く権力を握り続けたフン・セン氏は、退任後も人民党総裁として「院政」を敷く。ジョコ氏も政界に影響力の残したいと考えていることだろう。

タイでは、選挙とその後の政局の主役は相変わらずタクシン元首相だった。2008年に汚職防止法違反の罪で実刑判決を受け、国外逃亡を続けながらも2011年の総選挙では妹のインラック氏を党の顔に立てて圧勝した。

インラック氏は2014年のクーデターで首相の座を追われるが、2023年の選挙では次女のペートンタン氏を首相候補に据えて「2匹目のどじょう」を狙った。

タクシン元首相も釈放

プアタイはタクシン派政党としては初めて選挙で第1党の座を譲り渡したものの、公約を破って親軍政党と連立を組み、政権を奪取した。軍の政治関与を否定する前進党を第1党に押し上げた民意は完全に無視された。

2023年8月22日、タクシン氏はプライベートジェットで念願の帰国を果たした。もめにもめた連立交渉の末に、セター氏が首相に就任する数時間前だった。

警察にいったん身柄を拘束されたものの、高血圧など健康状態を理由に収監先の刑務所から警察病院の特別棟に移送された。禁錮10年の刑期は最高裁により8年に減刑され、さらに8月31日にはワチラロンコン国王に恩赦を申請、同日付でこれが認められ、禁錮1年に減刑された。

そして2024年2月18日、刑期を半年残して釈放された。結局、刑務所では一晩たりとも過ごすことはなかった。

望郷の念を募らせていたタクシン氏と既得権の死守をめざす軍や王党派の思惑が一致し、王党派は仇敵タクシン氏の帰国、恩赦を受け入れる代わりに、前進党を排除し、親軍政党を政権に参画させた。そうした妥協、あるいは密約が王党派とタクシン派との間で成立したとみられる。

現在の首相はセター氏だが、「次の顔」としてペートンタン氏が控え、ここでも遠くない将来に世襲が実現しそうだ。

マレーシアではアンワル首相が2023年1月、長女のヌルル前下院議員(42)を経済・財政担当の上級顧問に任命した。

アンワル氏は財務相を兼任しており、政府の経済運営の権限はアンワル家に集中することになった。政府にはびこる縁故主義を過去、批判してきたアンワル氏もまた同じ批判を浴びている。

王朝支配や政治世襲、縁故主義は、アジアのお家芸といえるほど各国で根ざしている。大統領制、議院内閣制、独裁と統治形態の違い、発展度合いに関係なくほとんどの国で見られる現象だ。

イギリスやドイツなど欧州ではあまり例はないし、ケネディ家やブッシュ家などはあっても、アメリカのそれはアジアには遠く及ばない。

日本も例外ではないアジアのお家芸

インドネシアの選挙に際し、国立ガジャマダ大やインドネシア大の教授らは縁故主義について「倫理の欠如で国は統制を失っている」などと相次いで批判の声明を出した。フィリピンでは憲法に政治王朝を禁じる規定がある。

しかし各国の選挙結果からみてもアジアの多くの国の有権者が、政治王朝の出現や世襲に対して厳しい目を向けていないことは明らかだ。ネポティズムをさしたる抵抗なく受け入れているといえる。

共通項を探せば、農耕民族をルーツに持つ地域が広く、土地への執着が強いこと、富裕層にも大家族制が残り、一族がよりお互いを必要としていることなどだろうか。地域に長く染みついたクライエンテリズム(親分・子分関係)とも関係するだろう。ご主人様の子息を敬うのは当然という気風だ。

日本もまったく例外ではない。日本経済新聞によれば、2021年の前回衆院選の候補者の13%が世襲で、勝率は復活当選を含めて80%に達した。

一方で、非世襲候補は30%。ここで世襲の定義は①父母が国会議員、②3親等内の国会議員から地盤の一部または全部を引き継いだ、のいずれかに該当する場合としており、親族に首長や地方議員まで含めると3、4割は世襲とみられる。

さらに首相や大臣など政界で階段を上るほど、世襲の割合は高くなる。小選挙区制が導入された1996年以降の首相12人のうち、世襲でないのは菅義偉、野田佳彦、菅直人の3人だけだ。自民党に限れば1人を除いて世襲ということになる。

アジアは1950年代から東西冷戦に巻き込まれて朝鮮戦争やインドシナ戦争の舞台となり、開発独裁が幅を利かせる時代が続いたが、1986年のフィリピンの政変を嚆矢として韓国や台湾で民主化運動が広がった。

1988年にはミャンマー(ビルマ)で学生蜂起があり、タイでは12年ぶりに民選首相が誕生した。内戦が続いたカンボジアでは1990年代に和平が実現し、国連の下で総選挙が実施された。

アジア全体を覆ったバブルが1997年に弾け、タイから始まる通貨危機が発生すると、経済的な混乱を引き金にインドネシアでスハルト独裁体制が崩壊し、開発独裁の時代は終焉を迎えた。タイでは史上最も民主的とされた1997年憲法が制定された。冷戦が終結しソ連が崩壊した20世紀終盤、アジアでも民主化が進んだ。

ところが21世紀に入り、2006年と2014年にタイでタクシン派政権を追放する軍事クーデターが発生した。2011年にようやく民政移管したミャンマーでも、2021年に軍が武力でアウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)政権を制圧し、時計の針を大きく戻した。

選挙を実施するフィリピンでもドゥテルテ前政権が、カンボジアではフン・セン体制が強権化を進めた。

東南アジアの民主化の行方

前出Ⅴ-Demの「民主主義報告書2023」は、世界の市民が享受している民主主義の水準は2022年に1986年の水準まで低下し、過去35年間に経験した民主主義の進歩は振り出しに戻ったと指摘した。フィリピンで政変があった年まで後退したというのだ。

そのV-Demが「東南アジアでは最も民主化されている」と評価したインドネシアでも、ジョコ政権は2021年に独立機関だった「汚職撲滅委員会」を行政組織に再編して弱体化させ、2022年の刑法改正では大統領や政府への侮辱を犯罪とする条項を盛り込んで言論統制を強めた。

もちろん独裁者の子どもが独裁者になるとは限らない。フィリピンのマルコス大統領は、前任者が違法薬物取り締まりや政敵弾圧で剛腕を奮った後だけに、権威主義的傾向は目立っていない。

カンボジアのフン・マネット首相もソフトムードの滑り出しだ。インドネシアでプラボウォ氏が選挙戦で振りまいたイメージ通りに強権を封じて政権運営に当たるのかどうかは、東南アジア全体の民主化の行方を占う試金石となる。