じつは「15分」で大阪に津波が…

国の発表による「津波到達時間」ではわからなかった「巨大地震」発生時の津波の実態 (msn.com)

 

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大阪の場合、過去の津波災害事例にあるように、淀川や大和川を始め、港湾から運河、堀川、中小河川を遡って津波が市街地にやってくる。大阪の中心部の多くがゼロメートル地帯。沿岸部から離れていても、地下室、地下街、地下鉄、地下駐車場など地下はあっという間に水没する可能性がある。ともかく、高台かビルの3階以上に避難するしかない。

ただ、救いは、国の発表による「津波高1m最短到達時間」で、大阪市に1mの津波が到達する最短到達時間は、地震発生後約100分とされていることで、100分=1時間40分あれば、十分余裕をもって避難できると思っている人がいる人が大勢いる。ところが……。

 

23年5月、大阪管区気象台が開催したメディアを対象とした勉強会で、気象台担当者が、「南海トラフ巨大地震が発生した時、大阪湾に津波が到達するまでの猶予時間を『10分~20分程度』と発表する可能性がある」と発言。直前に配布された資料にも、「仮に13時05分に南海トラフ巨大地震が起きた場合の発表例として『大阪府 到達時刻 13時20分』」と書かれていた。わずか15分で大阪に津波がやってくることになる。参加者からは、どよめきと共に驚きの声が上がったという。それはそうであろう。

 

国のモデル検討会は、地震発生後1mの津波が到達する「津波高1m最短到達時間」を、大阪市此花区には地震発生後113分、港区120分、大正区122分、西淀川区120分、住之江区110分と最短到達時間を推計・公開している。その結果、大阪に津波が来るのは地震の1時間40分後だから、かなりゆっくり避難しても間に合う。と思っていた。それだけではない。大阪府内に限らず多くの自治体、指定公共機関、防災関係機関、企業などは、国の推計「津波1mの最短到達時間時間」を基に防災業務計画やBCPを策定し、訓練もしてきた。それは全くの誤認で、根本からの見直しが必要となる。自治体の多くが、「津波高1m最短到達時間」を強調して、住民に避難を促している。

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このように、国が発表してきた「津波高1m最短到達時間」と、気象庁の「津波の到達予想時刻」とがこれほど乖離していれば、大変なダブルスタンダードであり、大問題となり各方面で大きな混乱を招くことになる。担当者の発言にメディアや自治体の人たちが驚くのも無理はない。地震発生後15分後に津波が到達するとなると、逃げ遅れる人も多くなるかもしれない。まして、間違った認識で住民や職員に周知してきた自治体や事業所が多い。

 

しかし、これはダブルスタンダードではないし、以前から知っている人は知っている防災常識である。二つの到達時間は、津波到達に関する考え方の違いから来ている。国は10mメッシュの地形データ等を用いて計算条件を精緻化し、海岸線における津波高などを推計し、津波が1mの高さになって海岸に到達する時刻を推計し「津波高1m最短到達時間」として公開している。前述したように、1mにした根拠は、1mの津波に人が巻き込まれると死亡率が100%になり、1mの津波が市街地に流入すれば、かなりの浸水被害が出る恐れがあるため、1mを目安にして到達時間を計算している。

 

片や気象庁が発表する「津波の到達予想時刻」は、通常「量的津波予報」といわれる次のような手法(プロセス)を使って、地震発生後3分を目安に津波の高さや到達時刻を発表している。

事前に10万通りの地震をシミュレーションし、地震ごとに予想される津波の高さや到達の時刻などを計算して、データベースに保存しておく。

実際に地震が起きたら、地震計のデータなどを使ってその位置や規模を推定する。

推定した地震と、同じような地震をデータベース内で検索し、保存していた津波高さや到達予想時刻を発表。

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という流れで3分以内の発表となる。ところが、マグニチュード8程度以上の巨大な地震が発生すると、3分以内にその位置や規模を推定できないので、(2)の段階でストップしてしまう。こうした場合に備え気象庁は、一律にマグニチュード9.1という最悪の事態を想定して、動いた震源域と地震規模を基に事前に作成していた情報を発表することにしている。南海トラフ巨大地震の場合、その震源域は、静岡県沖から宮崎県沖にかけての範囲となり、四国や紀伊半島の下にも震源域が広がっている。淡路島のすぐ南も震源域に入るため、その震源域も一緒に動けば、そこで発生した津波が地震発生後約10~20分で大阪に到達するという予想になるという。

 

また、気象庁の津波到達の考え方は、沿岸部で「潮位の変化が始まる時」を到達と考えて情報を出すのである。それは、わずかな潮位の変化でも影響を受ける海中・港湾作業者や、海中や海岸で遊んでいる人たちなどに、早期避難を促すために、「潮位の変化が始まる時」を「津波の到達予想時刻」として発表することにしている。つまり、引き波であれ、押し波であれ、あくまで海面(潮位)が動き始める時刻であって、数mの津波が来る時刻ではないということである。

事前に国が発表している「津波高1m最短到達時間」と、地震発生時に発表される気象庁の「津波の到達予想時刻」の2種類の津波到達時間・時刻がある。この考え方の違いを気象庁や内閣府は自治体やメディアはもっと明確に、住民に説明しておく必要がある。中には「津波高1m最短到達時間」は津波が来るまでの余裕時間として、その時間までに避難が完了すればいいと誤認している人もいる。自治体でも、「津波高1m最短到達時間」を避難の目安として、避難場所を設定し防災訓練を行っている所もある。これは全国の自治体でも「津波高1m最短到達時間」を同じ誤認をしている可能性がるので、確認する必要がある。

南海トラフ巨大地震発生時、大阪に津波の到達予想時間が10~20分と発表される可能性を視野に、避難場所や避難行動マニュアルを作成する必要がある。いずれにしても、海岸、河川、堀川、運河、地下などに居たら、揺れが収まったら津波警報の有無にかかわらず、一目散に安全なビル3階に避難することである。そして、津波は何度も襲ってくる可能性があるので、津波警報が解除されるまでは戻らないことが重要である。

災害なんかで死んではいけない、死なせてはいけない

過去、大地震(南海トラフ巨大地震)のたびに、大阪は津波に襲われ大きな被害を出してきた。例えば1854年12月安政南海地震の時のことが、大阪市大正区・大正橋の東詰にある「大地震両川口津浪記(だいじしん りょうかわぐち つなみき)」という石碑に刻まれている。その碑文を要約すると「安治川(旧淀川)、木津川から山のような大津波が押し寄せ、東堀まで入り込み、安治川橋、亀井橋、高橋、水分、黒金、日吉、汐見、幸、住吉、金屋橋などが、津波によって流された大船・小船の破船や破壊された建物の残骸が大波と共に、橋や建物を破壊した。船場島の内までも津波が押し寄せ、水死、けが人が多数出た。1707年の宝永地震の時も同じ事が起きていて、みんな知っていたはずなのに、また同じことが起きてしまった。こうした災害を繰り返さないために、溺死者の供養を兼ねてこの石碑を建てた」というようなことが書いてある。大阪の市街地はゼロメートル地帯が多い。過去に起きた津波災害と同じようなことを、南海トラフ巨大地震で繰り返さないために、歴史に学び、現代の知識と知恵を活かしてほしい。災害なんかで死んではいけない、死なせてはいけないのだ。

 

なお、関連記事<じつは「南海トラフ巨大地震」では「東京」も大きな被害…その具体的な想定の数値>では、東京での被害について詳しく解説しています。