追悼-いつも笑顔の松本さん
【ワーカーズ二月一日号より転載】




ワーカーズでは、年3回は総会を含め会議を行っています。会場は会員の居住する県を選び、午後からの会議になります。私たちもそうですが、松本さんは早く来て駅前の地図案内の前に立ち、散策の準備をされていました。いつもリュックを背負い身軽な恰好で、街並みの自然に触れ歩くが恒例のようでした。また、尼崎市のクボタが原因となったアスベスト問題にも取り組まれ、会場で顔を会わせたこともありました。

 コロナ前の2019年秋は、松本さん居住の福岡が会議の場所となり、会議後は、松本さんの企画した観光案内で楽しませてもらいました。記憶に残っているのは、八幡製鉄所の工場見学で赤く焼けた鉄板を見たこと、佐賀の民族博物館では豊臣秀吉が朝鮮出兵を視野にお城(名護屋城)を構えていたことなど、私には初めて知ることでした。

 昨年の11月に再度九州へ。孫娘が佐賀大学に通っているので宿泊させてもらい、吉野ケ里遺跡に行ってきました。その時、ふと松本さんと一緒なら、古墳に詳しい
ので説明してもらえるのにと思ったりしました。でもその頃は、松本さんは闘病中で大変な時期だったのですね。

 一つの考えに固執せず、柔軟な思考で問題を解決しようとされる姿勢に、学ぶことが多くありました。今も松本さんのレジメを読み返せば、懐かしい穏やかな声が聴こえてきそうです。どうぞ、安らかに、そして笑顔で私たちを見守っていてください。(折口恵子)