土屋源太郎さんの砂川事件裁判闘争
【ワーカーズ二月一日号より転載】

 

砂川闘争から辺野古を考える – QAB NEWS Headline


 東京都立川市の陸上自衛隊立川駐屯地の脇に柵に囲まれた空き地がある。ここは旧日本陸軍の施設があったところで、戦後米軍が基地にした。

 1955年、旧米軍立川基地の拡張計画が浮上し地元住民が反対運動を始めた。この反対運動を学生や労働者が支援し警官隊らと衝突を繰り返した。この闘争は地名から「砂川闘争」と呼ばれた。

 1957年、柵が倒れて米軍立川基地内に立ち入ったとして学生など23人が逮捕されて7人が起訴される。

 1959年の東京地裁では「米軍駐留は憲法9条違反」と判断し7人を無罪にした。

 ところがその後の裁判は異例ずくめであった。田中耕太郎最高裁判官が今では考えられない「跳躍上告」がなされるなど異例な裁判を展開していく。この経過については本紙の「砂川裁判闘争」を参考にしてほしい。

 2014年に土屋さんら元被告4人は再審請求に踏み切ったが棄却された。この頃から私は土屋さんと交流が出来て裁判支援に出かけるようになった。
土屋さんたち3人は「このまま終わるわけにはいかない」と、2019年に公正な裁判を受ける権利を侵害されたとして2019年に国に損害賠償を求める訴訟を起こした。

 今月の15日に東京地裁の判決がでると言うので、私もこの判決に期待して東京地裁を傍聴した。東京地裁の部屋はぎっしり満杯の人で埋まった。私もこんなに人が集まった裁判を経験した事がなかった。

 ところが、3人の裁判長が座り約30秒程度の「請求の棄却」を述べて退出。傍聴者みんな呆気に取られたが、あまりにもひどい判決に怒りの声を上げた。
その後、集会場所に移動して報告集会を開催する。

 土屋さんは「安保法制もできて戦争ができる国に変わりつつある中、国民の権利が脅かされる危険を若い世代にも知ってもらいたい。砂川闘争は決して過去の問題ではない」と強調された。

 また、原告の1人で元被告の故・坂田茂さんの長女和子さんは「非常に残念で納得できない。父に良い報告をすることが出来なかった。これからも闘う」と元気に挨拶された。

 砂川で父の闘いを継承する女性の方は「砂川事件の現場近くの小さな施設『砂川平和ひろば』で、闘争の写真や資料を公開し、次世代に訴える活動を続けている。日米安保条約や地位協定に縛られている現実は変わっていない。日本に米軍基地がある限り、国民の権利と自由は失われたまま。砂川闘争は終わっていない」と。

 土屋さんたちの闘いは続く、今後も支援をよろしくお願いする。(富田英司)