阿部 治正

 

辻原登の『日経』の連載小説『陥穽 陸奥宗光の青春』が今日で終わった。「日本外交の父」と言われる陸奥宗光について、その少年時代から、のちに元老院の仮副議長でありながら西南戦争に乗じて藩閥政権を武力決起によって打倒しようとした頃、そしてその咎で5年間も寒い北国の監獄に投獄されて死にかけたが、恩赦で出獄となる頃までが描かれている。武装蜂起への思いは、日本における立憲政治の確立にあったと描かれている。

若い頃は上海で見せつけられた欧米列強とアジアとの力の差に打ちのめされ、出獄後は欧州の制度を学ぶために英国留学したが、その猛勉強ぶりは鬼気迫るものであったと伝えられている。ベンサムの『道徳及び立法の原理』も翻訳した。

留学の後は政権に復帰して、欧米との間の不平等条約の撤廃に力を発揮すると同時に、1894年には朝鮮王宮占拠、日清戦争開始など朝鮮と中国に対しては帝国主義的政策を進めた。下関条約の功績をたたえられるが、後にはロシア、ドイツ、フランスの三国干渉を受けて屈辱を味わう。

陸奥宗光が欧米の立憲主義の移植のため活動を開始した時代は、欧州ではすでに労働運動が勃興し、東欧から発した1848年革命の中で『共産主義者宣言』が書かれ、第一インターナショナルの活動が開始されたかなり後であった。しかし陸奥が目指した英国型の立憲政体は、そのころの英国がそうであったように植民地主義と一体であった。

日本でも19世紀の後半には労働運動が開始され、1897年には労働組合期成会が組織されて、高野房太郎、沢田半之助、城常太郎らが活動した。のちにコミンテルンに参加する片山潜が発行した『労働世界』は、期成会や鉄鋼組合の機関紙の役割を果たした。そして陸奥の立ち位置は、それらとは真逆のものであった。

陸奥宗光の生涯は、日本の資本主義と帝国主義の一側面には違いなく、私たちにとっては反面教師だ。作者の辻原登は、社会党左派で和歌山県議会議員であった村上六三の息子さんだ。彼は世界の中に日本を置いて、いくつも面白い小説を書いている。やはり『日経』連載だった『韃靼の馬』は大変に血沸き肉踊り、詩情もたっぷりの小説で楽しく読んだ。次の作品も、楽しみにしたい。

 

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