韓国の良心囚・労働者支援に50年間献身してきた

「日本の良心」石井寛さん死去

 : 日本•国際 : hankyoreh japan (hani.co.kr)

 

[亡き人が歩んできた道]  
石井寛「韓国良心囚を支援する会全国会議」事務局長を偲ぶ

「韓国良心囚を支援する会全国会議」の石井寛事務局が昨年7月、朝鮮戦争停戦70年を迎え韓国の市民団体がソウル広場近くで開いた朝鮮半島平和大会「戦争危機を越えて、敵対を止めて今、平和へ!」に参加し、プラカードを持って行進している=イ・オクプンさん提供//ハンギョレ新聞社

 

 

 50年近く在日韓国人や韓国市民と歩みを共にした「韓国良心囚を支援する会全国会議」の石井寛事務局長が26日、東京で他界した。3年前、東京から長野県に引っ越した故人は、韓国関連行事に参加するために3日間の日程で東京に来ていたが、宿泊先のホテルで脳出血で倒れた。享年74。

 故人は亡くなる前日まで、韓日市民連帯の行事に相次いで参加した。故人は25日午後、衆議院第2議員会館で日本の市民団体「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動」が主催した「『国益』より人権!日本軍『慰安婦』ソウル高裁判決の意義-韓国の弁護団を迎えて」に出席した。昨年11月、慰安婦被害者に対する日本政府の賠償責任を問うソウル高裁判決を引き出した韓国の弁護団を招待してその意味を再確認し、日本政府に判決の受け入れを求めるものだった。さらに夕方には日本企業である日東電工の亀尾工場(韓国オプティカルハイテック社)の清算に抗議して闘っている同社の労働者たちの闘争を支援する会の結成集会にも参加した。27日には済州4・3抗争76周年の東京行事のための準備会にも出席する予定だった。

 このように故人は韓国の良心囚と労働者など弱者との連帯を実践する人生を生きてきた。良心囚のための後援会や韓国労働者の遠征闘争の支援、強制徴用被害者と慰安婦関連行事、3・1運動や4・3抗争関連の集いの現場には、太い眉毛の白髪の老紳士がかならず姿を現した。長期間日本で遠征闘争を行った韓国サンケン出身のキム・ウンヒョン民主労総慶南本部長は「韓国サンケンがついに勝利できたのは、日本市民200人余りが現地で私たちの闘いを全面的に支援し、本社との交渉を手伝ってくれたおかげだ。特に石井先生はほとんど毎日現場に訪ねてきて共に闘った方だ。突然の訃報にとても心が痛む」と語った。

 

1975年のスパイ捏造被害者の支援活動以後 
最近まで、労働者などの弱者と連帯 
支援のために韓国を訪れた回数だけで200回 
生前のインタビューで連帯活動の理由をめぐり 
「日本の学校で近現代史をあまり教えないため 
我々が日本の植民地支配などの問題を知らせるべき」  

26日、東京で脳出血で突然逝去

 

 故人が韓国と初めて縁を結んだのは1970年代半ばだった。1975年、中央情報部の留学生スパイ団捏造事件(11・22事件)で拘束された在日韓国人留学生の李哲(イ・チョル)さん(75)の救援運動に参加したのがきっかけだった。李さんとは全く面識がなかったが、九州・熊本の高校の1年先輩である彼の無念な話を同窓生から聞いて、躊躇なく李哲氏救援会に参加した。石井さんは生前、筆者とのインタビューで、「金大中(キム・デジュン)氏が拉致される(1973年8月)など、韓国の政治家と知識人たちが朴正煕(パク・チョンヒ)政権にひどい目にあった時なので、李哲さんも独裁政権の犠牲になっていると考えた。それで、学校の先輩を救わなければという思いで、救援活動に参加した」とし、「死刑宣告を受けた彼が無事に釈放され、再審で無罪を言い渡されるのを見て、やりがいを感じた」と語った。

 

2019年、東京都大田区池上駅付近のある建設現場で安全管理員として働いている石井事務局長。故人はこのような仕事をして韓日市民交流活動の経費を賄った=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 

 李哲氏救援運動で始まった個人の活動の幅は、在日同胞の良心囚全体のための運動と韓国政治犯のための運動へと広がり、自然に韓国市民社会との連帯活動につながった。このため、これまで個人が韓国を訪れた回数だけでも200回を超える。来月にも在日韓国人のスパイ操作被害者の故崔昌一(チェ・チャンイル)さんの再審裁判を傍聴するため、ソウルに来る計画だった。しかし、彼はこれまで韓国に来ても古宮や観光地などを訪れたり、個人的な休暇を楽しんだりしたことがないという。数年前、韓国人の友人、イ・オクプンさんの招待で、イさんの三陟(サムチョク)の自宅を訪れ数日滞在したのが、韓国での初の余暇時間だった。三陟で火力発電所反対など市民運動を行っているイさんは「長い間韓国のために努めてきた石井さんと仲間たちを招待したところ、とても喜んでいた。これまでは刑務所に閉じ込められている友人たちのことを考え、韓国で他のことを考える余裕がなかったと言っていた」と伝えた。

 故人は定年退職後、年金で奥さんと家計を切り盛りしながらも、建築現場の仕事などで経費を用意し、韓日市民連帯の活動を続けてきた。2019年3月「韓国良心囚を支援する会全国会議」を取材しに東京に行った時、筆者はある住宅の新築工事現場で、交通安全員として働いていた彼の姿を目撃した。

 

 故人は韓日連帯活動をする理由について生前、このように語った。

 「慰安婦問題を日本政府が国際司法裁判所に提訴するなどと言うのは恥ずかしいことだ。ところが今、日本の多くの人々はそのような事実についてよく知らない。学校で近現代史をほとんど教えていないからだ。私たちでも乗り出して日本の朝鮮半島植民支配と『慰安婦』、徴用問題などを若い人々に知らせなければと思っている。韓日の市民も、民間交流を通じて互いに理解の幅を広げなければならない。そのように一歩ずつ前に進むしかない」

 葬儀は2日、東京の桐谷斎場で行われる。故人の冥福を祈る。

キム・ジョンチョル/西江大学新聞放送学科特任教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/1126569.html