「立場の弱い少数者を助けなきゃ」アイヌへの差別から考える、

よくある“カン違い”〈金カムで議論も〉

 (msn.com)

 

『ゴールデンカムイ』の人気で、アイヌの文化や伝統への関心は高まっています。でも、アイヌの人々が抱える差別や生きづらさについて、思いを巡らせられている人はどれだけいるでしょうか。

 アイヌへの差別の構造について考えることは、女性やLGBTQ+、障がい者など他のマイノリティ差別の理解にも繋がります。『ゴールデンカムイ』の監修にも参加している、北海道大学教授・北原モコットゥナㇱさんにアイヌの人々がどんなことに「もやもや」を感じているのか、そして無知・無理解の構造、マイノリティとマジョリティの関係性などを伺いました。

「立場の弱いマイノリティを助けなきゃ」に欠けた視点

ーーアイヌ、沖縄、LGBTQ+……マイノリティばかりが目立って勝手に「問題化」されますが、いわゆるマジョリティ側の人たちに自分たちの持つ「特権」への気づきを促す教育の必要性も感じます。

 差別の心理やマジョリティ特権を研究されている上智大学の出口真紀子教授が、社会でマジョリティ側、つまり強者側にいる人々にどうすれば「差別」を自分ごととして捉えてもらえるかを考えるときに、マジョリティ側の「特権」を可視化することが必須だとおっしゃっていました。差別の話はどうしても、立場の弱いマイノリティ側をどう助けるかといった視点で語られがちですが、その裏に存在する立場の強いマジョリティ側が、自身の持つ特権とまず向き合わなければ解決しない。

 

 一般的な日本人の方って、自分が何民族かなんてあまり意識していませんよね。意識する必要がなく過ごせていて、自分を認知するためのラベルが少ないのもその要因だと思います。

 マジョリティはほかの立場(アイヌ、女性、障がい者、同性愛者……)を名付けて定義することで、自分たちのアイデンティティを保ってきました。こうした名付けや定義付けは優位な人たちだけに認められる行為で、劣位の人たちによる名付けは無視されるか反発を受けて成功しません。

 マイノリティへの抑圧はよく足を踏んでいることに例えられますが、踏まれている方は痛いのに、踏んでいる方は気づかない。だからこそ自分が踏んでいる側にいるかもしれない自覚をもてることは大切だと思います。

 

「立場の弱い少数者を助けなきゃ」アイヌへの差別から考える、よくある“カン違い”〈金カムで議論も〉

「立場の弱い少数者を助けなきゃ」アイヌへの差別から考える、よくある“カン違い”〈金カムで議論も〉© CREA WEB 提供

 

『アイヌもやもや 見えない化されている「わたしたち」と、そこにふれてはいけない気がしてしまう「わたしたち」の。』より。漫画は、田房永子さんが担当。

 

ーーマイノリティは生活の様々な面で制約・抑圧を受けて、諦めていることが多いです。裏を返せばマジョリティは特別な努力をしなくてもさまざまなことができて、諦める必要がない。自動ドアのように扉が勝手に開く現状はまさに「特権」なのですが、そのことを指摘しても反発をくらうことがあります。

 

「特権」という言葉にインパクトがあるからでしょう。ですが、マイノリティにはできず、マジョリティにはできることを一つずつ挙げていくとわかりやすいです。

 

 特権は「ある社会集団に属することで自動的に付与される優位性」と定義され、性別、性的指向、社会階層、障がいの有無などの属性において、マジョリティ側にいる人に自動的に付与されます。例えば、日本に住んでいて人種差別を受けることがない、政府を批判しても「日本から出て行け」と言われなくて済む、なども特権の一例です。

 

 アメリカで平等を研究している人々が作成したリストでは、男性は運転の上手い下手で「男だから」と言われないのも特権だと示されています(女性は運転が苦手だと「女だから」と言われてしまう。見方を変えれば、女性はこうしたことで否定的に評価されたり自信を失ったり、行動を制限されたりしている)。

 相手にはそれができないと気づくと、そうか自分が持っているのは特権なのかもしれないなと気づけるようになると思うんですよね。

「すんなり受け入れてしまっていた」気づかなかった自身の特権

ーー特権を持つ人の目の前にあるドアは自動で開くので、ドアの存在に気付かないことすらあるのに、特権を持たない人は自分の力で扉をこじ開けなければならない。そこに構造的な障壁があることを思うと、差別には個人の問題以上に構造的な問題がありますね。一方で、マイノリティでもありマジョリティでもある、という状況もありえます。

 

 私は男性で異性愛者なので、民族的にはマイノリティですが、性別や性的指向はマジョリティです。それに、アイヌの宗教は男性が主体となって行われるんです。実際の準備のところは女性が関わるのに、一番派手な儀礼のところは男性主体なんです。それも伝統だからと説明されるのを、私もこれまですんなり受け入れてきてしまっていたのですが、それは私の鈍感さというか、特権性のせいなんだと思います。

 

ーーそもそもマイノリティやマジョリティは多数派みたいに訳されて数の多さで認識されることが多いですが、「意思決定に強い力を持つ」側がマジョリティなんですよね。

 

 そうですね。一般企業の管理職もそうですが、大学の研究者を募集するときの応募も、女性が少ないことがあるんですよ。今私がいる組織も、正規職員7人中6人は男性です。そこにはそもそも大学進学のハードルが女性にとってまだまだ高い現状を含めた構造の問題がある。そこに鈍感になってはいけないと思います。

 

「立場の弱い少数者を助けなきゃ」アイヌへの差別から考える、よくある“カン違い”〈金カムで議論も〉

「立場の弱い少数者を助けなきゃ」アイヌへの差別から考える、よくある“カン違い”〈金カムで議論も〉© CREA WEB 提供

 

『アイヌもやもや 見えない化されている「わたしたち」と、そこにふれてはいけない気がしてしまう「わたしたち」の。』より。漫画は、田房永子さんが担当。

「立場の弱い少数者を助けなきゃ」アイヌへの差別から考える、よくある“カン違い”〈金カムで議論も〉

「立場の弱い少数者を助けなきゃ」アイヌへの差別から考える、よくある“カン違い”〈金カムで議論も〉© CREA WEB 提供

 

『アイヌもやもや 見えない化されている「わたしたち」と、そこにふれてはいけない気がしてしまう「わたしたち」の。』より。漫画は、田房永子さんが担当。

 

ーー医大が一部の男性受験者に加点するなど、女性差別の不正入試も問題になりました。

 

 マイノリティがなにかに起用されることに対して、優遇政策だと反論するマジョリティがいますが、やはり今まではマジョリティ側が優遇されてきたことに目を向けなければいけないと思います。マイノリティに対する政策は、傾いていたものをならすための取り組みなんだっていうふうに、理解すべきだと思います。

 今、議員の数を各政党で30%女性にしようっていう目標が立てられますね。30%というのは、意思決定のときに一定の影響力を持てる数が3割以上じゃないと効果を持てないから。でもそれも、まだまだ全然達成できないんですよね。

差別に抗うには「何段階かある」

ーー最近ほかに気になっている研究はありますか?

 

 最近興味深かったのは「非モテ研究」です。男性にはまずモテなければいけない強いプレッシャーがある。これは非常に嫌な言い方ですが、女性を所有して言うことを聞かせられるようでなければ、一人前の男とはいえないというプレッシャーなんですよね。それで一生懸命モテようと頑張ってみたけど、モテなかったってことでミソジニー(女性嫌悪)を募らせていく。

 本当はモテや恋愛のプレッシャーがなければ、マジョリティ男性だって楽になるはずなのに、それに取り憑かれている。そのあたりはマジョリティ男性も苦しんでいることで、それに気づいてほぐしていくと、マイノリティに対する流れ弾みたいなものも減ってくるんじゃないかと思うんですよね。

 

ーーたしかにフェミニズムに対して、最近「男性学」にもスポットが当たっているのはその流れの一つなのかもしれません。ただ、「マジョリティの生きづらさ」に注目が集まりすぎて「みんな苦しい」「むしろマイノリティは優遇されている」と感じて、よりマイノリティを攻撃している場面を見かける機会も増えました。

 

 女性専用車両に腹を立てている人などもそうですよね。なぜ、その車両を作らなければいけなかったのかということに目が向かなくて、俺は今不快だぞということに向かってしまう。沖縄も同じ状況にあります。日本中不況で苦しいのに、なんであいつらだけわがままを言っているんだ、国を守らなきゃいけないというのに基地がないと困るだろと非難の声が向かってしまう。

 

ーー本当は権力側など、一番強い人達に目を向けなければいけないのに、よりか弱い方に攻撃の矛先が向かっているのが現状です。

 

 マジョリティ側は、自分の不満がどこにあるのかに直接目が向いていない。将来の不安、プレッシャーに対して苛立ちを感じているんだろうけど、その根本の原因が社会や制度や慣習などにあることに気づけないと、なんか幸せそうに見える人たちに目が向いてしまう。

 マイノリティであっても、実際に報道で取り上げられるのはパラリンピアンやインフルエンサーのような目立つ方。そういう人たちが生き生きと語ってるのを見ると、なんだこの人たちもう困ってないじゃないって思ったり、俺のほうがよっぽど大変なんだと感じてしまう。

 

「立場の弱い少数者を助けなきゃ」アイヌへの差別から考える、よくある“カン違い”〈金カムで議論も〉

「立場の弱い少数者を助けなきゃ」アイヌへの差別から考える、よくある“カン違い”〈金カムで議論も〉© CREA WEB 提供

 

北原モコットゥナㇱさん。

 

ーー現職の国会議員がアイヌや女性やLGBTQ+に対し、先導して差別を煽るような人権侵害の発言を繰り返しているのも要因のように思います。

 

 そうですね。それでも、若い人たちは一世代前よりも人権感覚を持っている人が増えていると感じます。やはり教育でステレオタイプな思考を剥ぎ取っていくことが大切なんでしょうね。知識を身に付けるだけで、全然違うと思います。

 

ーー実際に私たちが差別に抗うためには、どういう行動を心がけたらいいのでしょうか。

 

 何段階かあると思います。まず一番最初は、どういう差別があるかを知ること。誰に対しての差別が、どういう風に存在してるのかを知らなければ対処しようがありません。私もアイヌ以外の他のマイノリティに対して、何か繋がりたいっていう気持ちはありますが、大前提として知識が必要だと思っています。問題になっていることを当事者に聞くのは失礼なことで、それはなるべく自ら学ぶ必要があると思います。

 それからその次は、どう対処するのか。私は性暴力被害者の方々が訴えている「アクティブ・バイスタンダー (積極的に被害を止める第三者)」の重要性に賛同します。

 性暴⼒やハラスメントが起こった、もしくは起こりそうな場⾯に居合わせたときに、ただ⾒ているのではなく、“積極的に働きかけることで被害を防いだり、最⼩限にする⾏動をとる⼈”のことで、加害者の注意をそらせたり、第三者に助けを求めたり、証拠を残す行動を積極的にとるようにする。こういう、その場で自分ができる対処法をあらかじめ知っておいて、防災訓練みたいにとっさに行動できるような準備をしておくことが大事だと思います。

 今のは個人的な対処の仕方ですけど、制度レベルの対処としては、やはり差別禁止の罰則のついた条例なり法律をつくるように働きかける。個人的な善意の行動だけでなく、マイノリティの権利を保護するための法整備を進める動きも同時に必要ですね。

 

北原モコットゥナㇱ

1976年東京都杉並区生まれ。北海道大学アイヌ・先住民研究センター教授。アイヌ民族組織「関東ウタリ会」の結成に両親が関わったことで、文化復興や復権運動をはだで感じながら育つ。著書に『アイヌの祭具 イナウの研究』(北大出版会)『ミンタㇻ1 アイヌ民族27の昔話』(小笠原小夜氏と共著、北海道新聞社)など。