色鉛筆・・・「巌さんに真の自由を! 静岡地裁・傍聴に入れない日記」


【ワーカーズ一月一日号より転載】

 

1966年に静岡県で一家4人が殺害された「袴田事件」…:袴田巌さん 写真特集:時事ドットコム

 昨年3月に、二度目の再審開始決定(東京高裁)が出され、10月にようやく静岡地裁で再審公判が始まった。他の裁判は入れず、毎回11時から17時まで、すでに5回が行われ、今年は春までにさらに7回を予定しているが、いまだ判決日は見えない。一般傍聴席はわずか27席で、希望者は8時40分から9時10分の間の受付に並び、手首に番号入りの紙のリストバンド(取り外し無効)を付けられ、40分近く外で抽選結果を待つ。

 12月の第4回と第5回にはおのおの117人、99人が並び、私はいずれも外れ。大きな意義と高い関心を集める公判であり、広く公開されるべきで、地裁には別室でのモニター視聴等再三改善を求めるも応じる気配はない。県西部はずれの浜松、東京その他県外(やむなく前泊とのこと)など遠方から傍聴を求めて来てもかなわない。誰のための公判なのかと思う。

 受付後毎回、地裁前の駿府城公園お堀の橋の上で支援者によるミニ集会が開かれる。冷たい風を受けつつ聞いた発言を一部ご紹介する。

 ●「古くからの支援者A氏」~2014年、一回目の静岡地裁の再審開始決定と同時に釈放された巌さんが、48年ぶりに帰郷した浜松で両親の遺影を前に言った言葉は「恥ずかしながら袴田巌帰って参りました。」A氏は「恥ずかしながら」は巌さんではなく捜査機関、司法の側こそが言うべき言葉だと怒りを込めて発言。

 ●「地元浜松の巌さん見守り隊メンバーB氏」~9年前には自分の足で何時間も歩き、外出先でごみが落ちていれば片付け、公衆トイレが汚れていればきれいにし、幼い子どもがいると顔をほころばせお小遣いを上げようとする、本当に暖かな善い人柄です。87歳の今、外出は車に乗せてもらうドライブに変わり、衰えてきています。一刻も早い無罪判決を出すべきだ。

 ● 同じく浜松の「見守り隊C氏」~法廷では被告不在のまま(自ら訴えることが出来なくなり、姉のひで子さんがかわりに出廷)、事件当時には生まれていない若い検察官、裁判官らが裁くという異様な裁判だ。当時の静岡では警察の拷問による自白の強要で冤罪事件が続出しており、マスコミも何も検証せず加担した。当時の背景や問題点を何ら考慮しないままでは、正しい判断ができるはずがない。

 10時半過ぎミニ集会を終えて、弁護団らを法廷へ送り出す。とびきり明るいひで子さんの笑顔がまぶしい。残りのメンバーは繁華街に出て宣伝活動。毎回公判のたびに全マスコミが報道することもあり「早く解決するといいですね」と反応はとても良い。午後は会場を借りて学習会などを行い5時の公判終了を待ち、夕方に記者会見という長い一日だ。

57年も前の巌さんの無実の訴えが、なぜ今なお届かないのか?なぜ冤罪事件が繰り返されるのか?再審法の不備を今こそ徹底的に改める時だ。

 二度の再審開始決定で、二度も証拠の捏造を指摘されながら、なお57年前のカビの生えた論拠でしか有罪立証することが出来ないにもかかわらず、裁判の引き延ばしを図る検察は許しがたい。(澄)