カネに物言わす政治=“私的利益”優先の歴史的悪政を絶つ為に

         大衆的な活動に立ち上がろう!
【ワーカーズ一月一日号より転載】


政治家パーティー、もうかるの? スポットライトの裏側で【政界web】:時事ドットコム

 自民党の政治資金パーティー収入の一部を裏金した事件(政治資金規正法違反=不記載・虚偽記載)は自民党安倍派の鈴木淳司議員がパーティー収入のキックバックは政治の世界の「文化」との認識だったと明かしたように、政治とカネの問題はつきもので当たり前、日常行為として行われうるものであり、汚職事件やその懸念・疑惑が繰り返し行われていることを明らかにした。

 そもそも政治資金規正法はそうした裏金作りや汚職事件を防ぐ為に作られたものだが、そうした類の法政は事件が発生するたびに改正されてはきたが、それをザル法と化したのは、その時々の時代を牛耳る政治家たちだ。

 政治家全てが悪いというわけではないが、政治家たちが“私的利得”に落ちらざるを得ないのは今までの社会そのものが“利潤追求”を目的としたものであり、資本主義経済にあっては資本家たちの“利潤追求”が優先されて、そのおこぼれを労働者大衆に振り分けるという政治・経済ゆえと言うべきであろう。

 アベノミクスは第2次安倍内閣が掲げた経済政策であり、「デフレからの脱却」と「富の拡大」を実現するために、大胆な金融政策・機動的な財政政策・民間投資を喚起する成長戦略の3本の矢を政策として掲げ、国家資金による経済の活性化によって景気を回復させてそのおこぼれを大衆に還元しようとするものだが、岸田政権も又基本的にはそれと同じでまずは経済の活性化=資本の利益が優先され、その上でそれを補完する意味で労働者の生活向上と言うより、過剰化した生産物の消費やデフレを防ぐために賃上げが必要とを言ってるわけだが、自民党をはじめとする多くの政治家は企業=資本あってのことであり、その存在や繁栄以外無いものとして決めつけ、資本の“私的利益”を優先するが今の政治なのだ。

 “私的利益”が優先される社会だからこそ“私的利益”を求め法の網をすり抜けたり、犯罪さえ犯してまでそれを得ようとする行為はあとを絶てないのである。

 社会生活の向上はなにも企業=資本がなくても労働者大衆による協同社会でもできるし、大衆的な協同社会ゆえに、公平でより社会的な生活向上が図れるはずである。

 水戸黄門漫遊記は悪徳代官や悪徳商人を葵のご紋をつけた印籠をかざし懲らしめる作り話だが、個人的利得を得るために大衆や庶民を苦しめ、賄賂や暴利を得ようとした悪徳役人や商人が過去や現代でもいること、それらの不正を暴き正す正義が必要なことだと語っているが、葵のご紋入りの印籠をかざす徳川幕府の権威にすがったやり方は権威(時の政権)そのものは絶対的に正しくそれによって正されるべきものと徳川幕府を擁護することになる。しかし、悪徳行為が行われているのはまさに徳川政治の中で起きており、権威そのものが腐敗を生む温床を抱えており絶えずぶり返す悪徳行為に権威を持ち出したところで、悪徳代官・商人を懲らしめる痛快感があったとしても葵の権威の世の中は悪徳行為が蔓延している世の中だったと思わざるを得ないし、そういう世の中を形成している権威では悪徳行為はなくならないと言うことだ。

 権威にすがった悪人倒しや一時のガス抜き痛快感でよしとするなら世の中の悪がなくなるわけもなし、世の中何も変わらないだろう。

 現代日本の議院内閣制は、議会における多数党によって内閣を組織し,国会の信任を受けて成立し内閣は国会に対して連帯して責任を負うという統治機構システムのことだが、議会議員を選ぶのは有権者=国民大衆なのだから、この中で政治家の汚職や悪性を正すことができるのは議員を推しだした有権者=国民大衆である。

 悪徳政治や利権政治を許さない一般大衆の怒りこそ政治家という権威に対抗する力であることを今こそ示す時ではないだろうか。岸田内閣退陣と国会解散総選挙を要求しストライキやデモ行進・集会など大衆行動で立ち上がろう。 (光)