遅塚忠躬著『フランス革命・歴史における劇薬』を読んで
【ワーカーズ五月一日号より転載】

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●革命の偉大と悲惨

 フランス革命の「悲惨」を象徴するのが、ロベスピエール率いるジャコバン派の「独裁」と「恐怖政治」であろう。

 実際、フランスで一九八九年に「フランス革命二百年を記念」するイベントが企画された時、フランス国民の多くが反対したため、イベントは「人権宣言を記念」するという趣旨に変更を余儀なくされたという。

 では、フランス革命の「偉大さ」を象徴する「人権宣言」の理想と「悲惨さ」を象徴する「ジャコバン独裁」の恐怖政治との関係をどう解釈すべきなのか?未だにフランス国民の間でも、従って世界の歴史研究者の間でも決着のついていない難問に挑戦したのが、遅塚忠躬(ちづかただみ)の『フランス革命・歴史における劇薬』(岩波ジュニア新書)である。

●革命二分説の矛盾

 この問題に対するフランス国民のオーソドックスな受け止め方は、革命を前半と後半に分けて、前半は憲法制定議会で人権宣言を発した「誇り高い」歴史、後半は独裁と恐怖政治に「道を踏み外し」た歴史、という「革命二分説」が主流であるらしい。国民感情としては自然なことかもしれない。

 ところが、革命の歴史をよく見ると、その人権宣言の具体的内容が政策として実現したのは、後半の時期であり、そのことを「二分説」では説明できないという矛盾が生じる。

●革命ブロック説

 このことから、人権宣言と恐怖政治は表裏一体であったとする「革命ブロック説」が、フランスの研究者の間では「正統派」とされているという。

 ジャコバン派の独裁の性格については、マルクス、エンゲルス、レーニン等が階級闘争、党派抗争の観点から論評しており、戦後フランスのマルクス主義史学界においても研究や論争が続いている。

 遅塚忠躬も、この「革命ブロック説」をさらに進めて、フランス革命は社会変革に伴う「劇薬」であった、という仮説を提起している。

●貴族・ブルジョア・民衆

 この問題を理解するには、当時の革命を推進する勢力として、自由主義的貴族、ブルジョアジー、都市民衆と農民が、お互いにせめぎあう関係にあったことを踏まえる必要がある。いわゆる「複合革命論」(ジョルジュ・ルフェーブル等)の立場である。

 ブルジョアジーは、イギリスと比べて十分に成長しておらず、単独で革命を推進する力がなく、自由主義的貴族と同盟するか、都市民衆及び農民と同盟するか、常に選択を迫られる板挟みの立場にあった。

●山岳派とジロンド派

 ブルジョアジーは当初、自由主義的貴族と同盟して王権を制限する「立憲君主制」をめざした。

 ところが反動的貴族が地方で反革命的反乱を起こし、オーストリアやプロイセンが軍事的に攻撃してくる事態に直面すると、革命政府は都市民衆・農民との同盟に舵を切る必要に迫られた。

 ここから、パンの価格統制や農民の土地取得を掲げた大衆行動(整然たる恣意行動だけでなく暴動や虐殺を含む)を「正義」と認めて革命の徹底化を目指す山岳派(ジャコバン派)が、これに消極的なジロンド派(ブルジョア的権利を重視)を「エゴイスト」と攻撃する党派的抗争が激化し「恐怖政治」が猛威を振るい、やがてジャコバン派自体が孤立し「テルミドール」(ロベスピエール等の処刑)に至るのである。

●避けられなかったか?

 この一連の歴史を遅塚忠躬は「劇薬」と評価する。ところで、どうしても残るのは、この「劇薬」は避けられなかったのか?という問いであろう。

 山岳派の指導者の中にマラーという人物がいたが、不幸にも貴族に暗殺された。マラーの妹は「もしも私の兄が生きていたら、ダントンやデムランのような人びとがギロチンにかけられることはなかったでしょう」と言った。

 遅塚は「たしかに、もしマラーの暗殺という偶然の事件がなかったら、恐怖政治はあれほどひどくならなかったかもしれません。」と言及しつつも、革命をめぐるフランス特有の社会的背景を見るなら、何らかの形での「劇薬」は避けられなかっただろう、と述べている。

●市民革命と暴力

 たしかに、二百年前の「劇薬」の渦中で偉大な「理想」を掲げ続けた都市民衆や農民や急進的ブルジョアジーの「魂の叫び」に「共感」することは大切なことではある。

 しかしその「劇薬」の中には、懸命なリーダーのもとで整然たる行動をしていた民衆が、偏狭な扇動者に煽られて、暴動や虐殺に走ったこと、それが恐怖政治の引き金につながったことも忘れてはならない。

 従って「革命劇薬説」を安易に一般化し「市民革命に暴動は付き物」と解釈して良いということを意味しない。(とりわけウクライナの「マイダン革命」の冷静な評価が求められるような今日では、なおのことである。)

 「熟議民主主義」や「ミュニシパリズム」が議論される今日の地点で、改めてあの「劇薬」は「避けられなかったのか?」と問い続けることもまた大切な思想的営為ではないだろうか?(夏彦)