〔週刊 本の発見〕イメージ戦略を重視した歴代最長首相

『安倍晋三 回顧録』 

(labornetjp.org)

 

「桜を見る会」で挨拶する安倍晋三元首相

ドキュメンタリー映画『妖怪の孫』

 

 

『安倍晋三 回顧録』(安倍晋三 著、中央公論新社、1800円)評者:大西赤人

 


 先日、ドキュメンタリー映画『妖怪の孫』(監督:内山雄人)を観た。

主人公は故・安倍晋三、「妖怪」とは言わずもがな、祖父・岸信介のことである。平日午後、シネコン@新宿の一スクリーンは、客席120ほどの大きさとはいえ、ほぼほぼ満員だった。数々の映像、多様な人物の語りがちりばめられた作品は十分面白く、改めて考えさせられる部分も少なくなかった。ただし、「映画はいつからテレビでやれないことをやるカウンター・メディアになってしまったのか」(井上淳一)という評言には同感であり、十年前、二十年前ならば、(たとえ深夜帯あたりにせよ)テレビで流れたであろう程度の内容とも思う。一瞥、観客の年齢層は高く、思い込みまたは偏見(?)も含めてリベラル派、市民派〝ぽい〟人たちに見えたけれど、彼らのほとんどはこの映画を観て、改めて安倍の足跡を憤懣や悔恨とともに想い起こしたことだろう。しかし、逆に安倍を支持する人々、安倍を評価する人々が『妖怪の孫』を観に行く――その結果、考えを改める――ことは、ほぼほぼ起こりそうにない。

 

『安倍晋三 回顧録』は、『読売新聞』の橋本五郎、尾山宏が聞き手となり、2020年10月から2021年10月までの間に一回2時間×18回、計36時間にわたった安倍に対するインタビューを構成した一冊である。大西としても、この表紙の満面の笑みを見るだけで辟易させられるわけだが、総理大臣として歴代最長在任期間を記録した人物の実像を知ることも必要と思って手に取った。

「安倍さんの『回顧録』は、歴史の法廷に提出する安倍晋三の『陳述書』でもあるのです。できるだけ多くの人に読んでいただくことを念じて止みません」(橋本、尾山)

 

 安倍晋三の在任期間は、第一次内閣(366日)、第二次内閣(2822日)を併せて3188日に達する。ちょうど一年ほどで持病を理由に事実上投げ出してしまった第一次の期間を除いても、丸八年近くを首相として過ごしたことになる。そもそも自民党総裁の任期は党則で「一期三年・連続二期まで」とされていたのだが、安倍総裁時代に「連続三期まで」と変更されたため、この記録につながったのである。当然、私物化との批判も浴びたのだが、安倍は軽く語る。

「場合によっては、3選はあるかな、くらいの意識でしたよ」
「そもそも自民党の総裁任期は、おかしいでしょう。総裁任期が2期6年は短かすぎます」
「これでは政治の安定なんか望めません。私に限らず、今後の総裁にも3期9年の任期があっていいでしょう」

 安倍の思考は、常にこんなふうに単純だ。こうしたらいいと自分が思ったら、どうして今までその形であったのかという理由には無頓着である。また、今はタイミングとして芳しくないと思えば、アッサリと一旦引っ込め、折を見て再び持ち出す。多数を握ること、力を保持することが重要であり、極めてプラグマティックに行動する。第一次、第二次を通じて安倍は、どれか一つだけを採っても間違えば政権の命取りになりそうな重要案件を、次々に実現させて行った。

 

 改正教育基本法成立。防衛省発足。国民投票法成立。特定秘密保護法成立。集団的自衛権行使容認。国家安全保障局、内閣人事局、発足。戦後70年談話発表。安全保障関連法成立。東京オリンピック誘致。天皇退位特例法成立。改正組織犯罪処罰法成立。働き方改革関連法成立。TPP(環太平洋パートナーシップ協定)関連法成立。特定複合観光施設区域整備法(IR実施法)成立。……

 そして、未だ成功したのか失敗したのかハッキリしないアベノミクスがある。

 一般に親・安倍と想像される『読売新聞』の人間ではあるものの、聞き手の二人は安倍に遠慮なく質問をぶつけている。

「私たちが心がけたことは、『この問題についてはどうお考えですか』というような、いわゆる『御用聞き質問』はできるだけ避けることでした。多くの国民が疑問に思っていることや『安倍政治』への厳しい批判も踏まえながら、できるだけ率直に、直截にお聞きしました」

 失敗と非難された政策、閣僚の不祥事、森友や加計など安倍自身の疑惑などについても話は及ぶのだが、安倍は全く悪びれない。〝ためにする攻撃だ〟といなし、〝全く私は関係ないのだ〟と言い切る。そのレトリックは明らかで、言わば〝その車はブレーキが不良品だったので人を轢いてしまったのですよね?〟と訊かれると、安倍は〝残念ながらそうなんですと応じ、〝でもね、今までにないくらい燃費が良かったんですよ〟というふうに付け加える。読んでいると、強調された部分により、本来の問題点が上書きされてしまう。

 

「経済状況は100点満点ではなかったかもしれない。だが、60点や70点だとしたら、それを失敗と言うのですか」【合格ラインが定まっていれば、不合格=失敗となり得るだろう】
「安倍は度量が狭い、と言われましたが、角福戦争(田中角栄、福田赳夫両元首相の主導権争い)の頃の政争なんて、こんな柔なレベルではないでしょう」【柔ではない政争をやるべきなのか?】
「私が子どもの頃にテレビで見ていた60年安保闘争に比べれば、彼ら【SEALDsの学生たち】の運動は大したことはなかったですよ。私は国会前の反対運動を遠くからじっと見ていたのですが、夜8時を過ぎると、皆さんお疲れ様でした、と主催者が言ってほとんどの人が帰っちゃうわけですから」【9時、10時まで皆が続けていれば認めるのだろうか】

 

 本書を読み進めるうちに、大西でさえ、〝安倍って、結構傑物だったのかもな〟と感じそうになった。彼の一挙手一投足について、それほど巧妙な演出が施されていたことは間違いない。安倍はイメージ戦略を重視し、何人もの人材を重用したことを再三述べている。その一人が本書の監修者・北村滋(元・国家安全保障、内閣特別顧問)であるから、故人の発言に関しても、相当程度の手が加わっていることは想定される。とはいえ、実際、国内外の政治家に対する評価、官僚に向けられる根本的な不信など、大変興味深い内容も多い。安倍晋三という人物に関しては、凶刃に斃れたという劇的な結末にも基づき、今後、一層の偶像化が施される惧《おそ》れもある。私たちは、単に彼の総てを否定的・侮蔑的・冷笑的に振り返ることではなく、なおさら精密な検証を施すことが必要であろう。